ペルシア戦争のある物語・・・


今から約2500年前、現在のギリシアはとても困っていた。
当時、中央アジアにはアケメネス朝という王朝が存在し、その支配力・軍事力は“地球一”であった。
その巨大王朝アケメネス朝が小国ギリシアに勝負を仕掛けてきたお話・・・
地図を見ただけでその大きさは歴然!!!
古代ギリシアでは
古代ギリシアは有力な都市国家(通称:ポリス)が存在していました。日本でいう有力な都市国家は“東京”“大阪”“福岡”みたいに言い換えられますね!


その有力な都市国家が「アテネ」と「スパルタ」です。
この2つの都市国家の性格は正反対でした。
アテネの人生【女性編】
アテネの人生【男性編】


アテネはスパルタよりも人口は格段に多いです。戦争や有事の場合は男性たちがギリシアを守るために立ち上がるのです。
さぁ・・・一方で・・・
軍事都市国家スパルタの人たちの人生をご紹介します。
スパルタの人生
スパルタは、男女問わず、まず産まれて最初に【ある試練】が待っています。


産まれてすぐの赤ちゃんは親の元へはいけません。どこにいくかというと・・・
スパルタの“長老”の所へ行きます。
そこで、長老が赤ちゃんを“審査”するのです。健康でしっかりした赤ちゃんかどうか・・・。
長老の審査に合格した赤ちゃんは、育てられる訳ですが・・・審査に落ちた赤ちゃんは・・・


殺されてしまうのです・・・
古代ギリシアのスパルタ族にはこの掟があったのです・・・。
育てられることを許可された子どもたちの人生は・・・
スパルタの人生【女性編】
スパルタの人生【男性編】
先ほども話したようにこのギリシアに超大国アケメネス朝が攻めてきたのです!!!
ペルシア戦争(計3戦の壮絶バトル!!!)


第1戦目は、なんとギリシア不戦勝!!船で攻めてきたアケメネス朝の船が次々と沈没!アテネ・スパルタ連合軍は天候をも味方につけた!!!
初戦で敗戦したペルシアは、紀元前490年9月12日ギリシアに戦争をしかけた。


ギリシア全土を支配しようとしたペルシア約2万VSそれを全勢力で迎えるギリシア1万!!!
地図を見ると分かるようにギリシアは“ホーム”ペルシアは“アウェー”です。
ギリシアはできる限り戦いやすい状況に追い込み、ペルシア軍の度肝を抜いた。
戦闘を有利に進めたギリシアは圧勝!!!
その被害者は200人ほどに収まったとも言われている。ちなみに撃破数は約7000!
この戦いにスパルタは参加予定だったのですが、間に合わず・・・スパルタが来ていればもしかしていたら“殲滅(せんめつ)”できていたかもしれない。
※司令官の「殲滅せよ!!!」とは「一兵卒たりとも逃さず殺せ!」ということなので、
大虐殺の命令ということになってしまうんですね・・・オー怖い・・・。
この大勝利にギリシア軍は大発狂します!やったー!!!勝ったぞー!!!って。
そして、そのアテネの兵士は戦場になった「マラトン」から「アテネ」まで重装備をしたまま走った。
戦勝報告をするために、必死に走った。一秒でも早く・・・。


なんとかアテネに到着した兵士は報告後、なんと息を引き取ってしまったのです。
彼が走った距離が約40㎞ちょっと。マラトンからアテネまでの距離。
これが「マラソン」のもとになったお話なのです。


1人の男が戦争の勝利報告をするために走った距離。
これが「マラソン」
ちなみに・・・
現在のマラソンの距離は「42.195㎞」
これにはちゃんとした理由があります。
実はこの距離になったのは第4回ロンドンオリンピックでした。
その大会では41.843㎞のはずだったのですが、イギリス王妃“アレクサンドラ”が「オリンピックは競技場のロイヤルボックスでゴールを見たいわ。おほほほほ。」とわがままな注文をつけた結果、距離が伸び、現在の42,195kmとなった。
実はこの変更には、あるドラマがあるのです。それが
「ドランドの悲劇」


イタリア人マラソン選手“ドランド”さんは第Ⅰ位で競技場に入ってきました。
その疲労から競技場に入ったところで力尽き、係員の助けをもらいながら最後の350メートルを走りきります。しかし、結果を見てみると
なんと「失格」になったのです。
一人で走りきっていないという判断になり、こうした結果になってしまったんですね。
ほら、箱根駅伝なんかもそうですね。疲労や暑さなどで、ふらふらになっている生徒に、水は渡すことができます。しかし、したら失格になってしまう行為がありますね?
そうです。
「触れること」です。
これはこうした歴史があるからなんですね。
全てのものにはその「ルーツ」があり、それぞれが現在に残っている。
普段何気なく見ているものも、実はたくさんの不思議な物語が隠されている。
一緒に読み解いていきながらその面白さを感じてください♬
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