
わかりやすい日本史



白河上皇が「院政」という形で権力を掌握し
自分専門の武装武士集団を所有。
一方で・・・
男子が生まれず、権力争いから離脱し
再び権力を握ろうと計画する藤原家一族。
彼らの護衛武士として関東で名を轟かせていた
「平清盛」
かれらの実権を握る戦争が始まる・・・。
「平治の乱」
これは藤原家のリーダー争いの戦いです。
藤原通憲(みちのり)=通称みっちゃん
と
藤原信頼(のぶより)=通称のぶたん

この「みっちゃん」 VS 「のぶたん」の戦いが
「平治の乱」

みっちゃんは・・・
平清盛ら「平氏」を専属武士に採用!
一方ののぶちゃんは・・・
源義朝(よしとも)を専属武士に採用!
藤原一族のリーダー争いは・・・
平氏と源氏の戦いになりました。

これに勝った平氏は大喜び!
源氏の主力メンバーを処刑し
小さな子供は殺さずに「島流し」に!
この功績を讃え平清盛は大出世!
なんと天皇のそばにお使えする
「太政大臣」に任命された!

平清盛はとにかく強かったので
誰もが文句を言うことはなく
政治の実権を握った。
しかし・・・
出身はただの関東の武士。
一般人に政権運営は難しく
その無能さが露骨に現れてしまった。
結果、各地で「打倒平氏!」
のスローガンを掲げた反乱が多発!
中でも島流しにあった
源家の子供が成長し、関東で多くの仲間を集め
「打倒平家」を訴え挙兵!
この成長した子が「源頼朝」
ついに戦争は”源平合戦”!
舞台は「壇ノ浦」!

結果は・・・
残念ながら、平家は敗戦!
勝利した源頼朝が自ら挙兵した
「鎌倉」に日本初の武家国家を成立させた!
鎌倉幕府スタート(1185年)

源頼朝はすげーんです!!!
だって武士の時代は「江戸幕府」まで続く!
その先駆者がこの源頼朝!!!
弟はあの弁慶と義経の
「源義経」!
まずはこの鎌倉幕府の話。
源頼朝は鎌倉幕府を開始しますが
存続させるのが超大変・・・
カリスマ性があるのは彼だし・・・
跡継ぎが出来たとしても
やはり頼朝には敵わない・・・。
そこで台頭してきたのが
源頼朝の奥さん一族である
「北条氏」

この北条氏が政治の舞台に出てきます。
そして・・・
やはり源頼朝が頭が上がらない人が・・・
「嫁の父親」だった。
頼朝の嫁を「北条政子」といいます。
この嫁が始めたのが・・・
源頼朝は妻に言われて、可哀想・・・・
一応、源家は3代目まではなんとか頑張りました。

しかし、あるひ・・・
3代目であった源実朝(さねとも)が
なんと・・・暗殺されてしまった・・・
この暗殺を期に
今まで武士に実権を握られていた
「天皇家」が動き出した!!!
これが・・・
「承久の乱」
源頼朝の妻:「北条政子」
VS
実権を握られていた天皇家:後鳥羽上皇
の戦い!
後鳥羽上皇はこの戦いに勝つ自信があった。
だってね・・・
北条家の「執権政治」は力任せ・・・。
拒むものや、失敗するものは
切り捨てる!
そんな政治は
絶対に嫌がっている人が多いと予想し
兵を出した!

ところが!!!
北条のいる関東は一致団結!
今まで散々京の都にいる天皇家に
野蛮な地域だとバカにされてきた!
その恨みを今晴らすときだ!!!!!
って。
そして、見事北条家がこの戦争に勝利!
執権政治は続くこととなった・・・。
そして・・・
3代目執権「北条泰時(やすとき)」のとき・・・
承久の乱では
たくさんの武士たちが暴れに暴れまくった。
でも、「ルール」というものが
存在しなかった。
仲間同士で喧嘩したらこうなりますよ!
とか
ましてや斬っちゃったらこうなりますよ!
みたいなルールがない・・・。
そこで武士へのルールづくりをしました!
これが「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」
「式目(ルール)」を守らないと
「成敗」しますよ!
という武士のルールを決定!
北条家は全ての権力を手に入れ
間違いなくパーフェクトに政権運営をしていた・・・・
ところが!!!
再びこの鎌倉幕府の
北条家を揺るがそうとする人々が登場する。
それが・・・
モンゴル帝国

まさかの外からの侵入!
そう!「元寇」です!
北条8代将軍「北条時宗」のもとに
あの
フビライ・ハンがやってくる!

当時のモンゴルは
歴史史上最大の巨大帝国を保有❗
東は中国、西はドイツにまで
領土を持っていた。
そして・・・
当時のモンゴル帝国は
「服従するか」「滅亡するか」
その「どちらかの選択肢」
を敵国に与えていた。

この選択肢を北条時宗は「無視」!
ついに巨大帝国「モンゴル」と
小さな小さな島「日本」との戦いが始まる!


あの写真だけでの知識であれば・・・
- 「モンゴルを日本は撃退」
- 海で嵐に遭遇し、船は難破。
- 日本は神風が吹き、勝利した
なんて言われていますが
博多に約3万のモンゴル兵が上陸しています!
大戦争です!!!

モンゴルからの攻撃から
なんとか数日乗り切った日本・・・
しかし・・・
長期戦は絶対に不可能。
もはやこのままやられてしまうのか・・・
九州はどうなってしまうのか・・・
諦めかけたある夜、
奇跡が起きる!
「台風上陸」です!

モンゴルは夕方になると船に帰ります。
朝になると戦が始まる。
その船に戻った夜・・・
奇跡的に「台風が発生」し
船が沈没、奇跡的にモンゴルに勝ったのです。
フビライはその結果にブチギレ!
1年後すぐに軍を準備し
加えて軍を「15万人」に増やし
再び日本に攻めてきた!

絶体絶命の日本でしたが・・・
「あれ???
あれれれれ?????
あれれれれれれれれ?????」
なんと昨年同様
2年連続でモンゴルが襲来した夜に
再び九州を「台風」が襲い
モンゴルの船は全滅!
まさに奇跡の2連勝!!!
神が味方してくれる不敗の国「日本」
となった。
モンゴル帝国はその後
領土拡大のツケがまわり
各地で反乱が発生。
日本に手が回らなくなり
侵略計画は止まった。
源頼朝から始まる「鎌倉幕府」
妻であった北条政子が彼を継ぎ
北条家の支配が続いていた。
国は安定する
はずだった・・・
しかし・・・
鎌倉幕府の終わりが
すでに始まっていたのだった・・・

そのきっかけが
さきほどの「元寇」。


この鎌倉時代までの戦争と
今回の「元寇」ですが・・・
何が大きく違いますか?


今までの日本の戦争は
「日本国内の日本人同士の争い」
元寇は
「日本人とモンゴルとの戦い」

今までの戦争であれば
「日本人同士の戦い」なので・・・
勝ったほうが負けた方の
「土地」や「金」を
奪うことが出来る。
命がけで戦った「ご褒美」です。

元寇では3万人・15万人という
モンゴル人を相手に
命をかけて戦い
奇跡的な台風にも助けられ
勝つことが出来ましたね?

そうなんです!
九州で死ぬ物狂いで命をかけて戦った
モンゴルを撃退した武士さんたち・・・
勝ちましたよ?あのモンゴルに勝ったのです・・・
でもね・・・
「ご褒美」はどうするのでしょうか?
敵であったモンゴルの領土を
奪いにいきますか?
それとも北条政権は武士たちに
莫大な報酬をあげますか??
そんな余裕は「まったくない」
そうなんです。
鎌倉幕府、つまり北条政権は
頑張ってくれた武士たちに
「ご褒美をあげることが出来なかった」
こうして・・・
「武士」と「北条政権」との
信頼関係が
「一気に崩壊」
鎌倉幕府滅亡へ
大きな一歩を踏み出してしまった!

そしてその崩壊によって動き出す
2人の男がいました・・・
ある人は
武士から始まったこの鎌倉幕府を倒し
もう一度天皇家の力を復活させようと
考えていた男・・・
そして、もう一人は
「幕府に所属していない武士」で
その実力は天下一品。
その力を見込んで
幕府は仲間に入れようと
ヘッドハンティングするも
その話を断り
幕府から「悪党」と
呼ばれていた男たちの1人・・・
鎌倉幕府に恨みを持ったこの2人が
ついに動き出す!!!
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