もぉ〜・・・戦争ほんとにやめてほしい。
ウクライナもロシアも・・・。
そもそも「ウクライナ」ってどういった歴史があるんでしょう。
気になる人も増えてきましたね❗今日は楽しくわかりやすく解説していきます❗
⇩ ウクライナ戦争のきっかけは ⇩
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ウクライナの概要と国旗の意味
日本の1.6倍の国土を持つウクライナ。
もとは【辺境】という意味を持つ「クライ」
の語源を持つ。
辺境だけあって国旗の黄色は広大な領土で育つ
「小麦」を意味し、青は「空」を意味している。
ウクライナは【世界第5位の小麦輸出国】です。
その小麦畑の大半がロシアとの戦争で焼け野原に・・・。
『欧州のパンかご』と言われるくらい、欧州の小麦を生産していました。
「ロシアの歴史はウクライナから始まる」
という言葉もあるくらい、独立前はロシアを
支えていました。1991年に独立。
もとはロシア(旧ソ連)領土でした。
人口は約4100万人で、首都は【キーウ】です。
最近良く耳にしますね❗
ウクライナの歴史
ウクライナは国土が平坦で、山脈もない。
よって古くから異民族の侵入を受け続けた
混血の歴史があります。
これが、世界一の美女が生まれる理由と言われています。
確かに「美女」が多い気がします。
聞いたことがありますか?「チェルノブイリ原発」はこのウクライナにあります。
紀元前・・・この地域には古代ギリシア人が
肥沃な資源を求め侵入。
そこに都市国家「ポリス」を建設した。
よくニュースで聞く「セバストポリ」や「マリウポリ」の「ポリ」は・・・
都市国家「ポリス」の「ポリ」なんですね❗
ヨーロッパは「三大民族」と言われる
「ラテン人」「ゲルマン人」「スラヴ人」という
3つの民族が作り上げていったと言われる。
ラテン人は現在のイタリア方向へ・・・
ゲルマン人は「ゲルマン民族大移動」があり
ヨーロッパ各地へ大移動。フランスやドイツ
アフリカ大陸へも移動し、様々な国家を作る。
そして、現在のウクライナあたりの東ヨーロッパ
に定住していったのが「スラヴ人」です。
スラブ人が元祖なのか・・・。
そして、このスラヴ人の中に
「キー君」「シチェク君」「ホリフ君」という
3兄弟がいました。
彼らは現在のウクライナの首都キエフあたりに
町を作り、発展させていきました。
現在のウクライナの首都「キエフ」はこの
3兄弟が作りました。
この3兄弟の名前から「キエフ」とつけられたんです。
へぇ〜❗そうなんですね❗
今もキエフにある「ドニェプル川」のそばの公園に3兄弟の像がありますよ❗
それが後に発展し「キエフ公国」となります。
しかし、最初にも言ったように、ここは
「攻めやすい」んです・・・。よって、
発展したり、分裂したりしながら結局は
新興勢力の「モンゴル人」に滅ぼされた・・・
滅ぼされたあとはどうなったんですか?
250年間のモンゴル支配のあと、モンゴルも次第に
衰退。そこにキエフと同じく「地方の有力都市」の
「モスクワ」がイヴァン君のもと勢力を拡大した。
お❗ロシアの首都モスクワが出てきましたね❗
いくつかの国を統一し、勢力を拡大していった
モスクワは「モスクワ大公国」となりイヴァン4世
のもと国は発展するも・・・いろいろあって
1613年からロマノフ君が「ロマノフ朝」を始めます。
なんとこのロマノフ朝は300年も続きます。
あれ?エカチェリーナとかってこの時代の中ですか?
そうです❗そのロマノフ朝末期のお話です・・・。
1905年、当時のリーダーはニコライ2世。
この時ロマノフ朝は日本と戦っていました。
日露戦争ですか?
そう❗日本は色々な国の支援もあり、この戦争に勝ちます。ポーツマス条約です。
実はこの時、ロマノフ朝では戦争からの撤退
そして、労働時間の短縮などを求めた大規模デモが
モスクワで行われていました。
市民は戦争をもう続けたくなかったんですね・・・。
なんとその規模は「10万人」でした。
その市民のデモに、なんと軍部が発砲❗
これが「血の日曜日事件」と言われる出来事。
ち・・・血の・・・日曜日・・・。
これで国家への信頼は地に落ち、労働者は
次々とストライキを実行。農民たちも
激おこぷんぷん丸です。
なつかしい。死語ですね。笑
こうしてロシアでは次々と「革命」が起きてしまいます。でも、その後の第一次世界大戦に参加。
あっちゃ〜・・・
この状況で儲かるのは「武器」「弾薬」「食料」に
投資している【資本家】です。
彼らはとんでもなく儲かった。しかし、労働者は
酷使され続けた・・・。
そこで登場したのが「もう戦争やめようぜ❗」と
「資本家の金はみんなのものだぜ❗」と訴える
労働者グループの政党でした。
その政党が「ソヴィエト」です。
きた〜〜〜〜〜〜〜❗❗
ソヴィエトのリーダーはレーニン❗彼がこの戦いに
勝利し、ソヴィエト政権を誕生させた。
新たに国を動かすに当たり政党名を
「ソヴィエト党」から「ロシア共産党」と変え
政権運営を宣言し、【平等】と【戦争不参加】を
軸とする国家樹立を宣言した。
お、ロシア共産党の国家・・・ついに来ましたね❗
これがあの【ソヴィエト社会主義共和国連邦(=ソ連)】です。
めちゃくちゃ良くわかる❗
レーニンはソ連樹立の2年後にこの世をさりました。
引き継いだのは【レーニン】。彼はひどい男で
「俺がルールじゃボケ❗❗」みたいな超独裁
政治を行ってしまった。
文句を言ったら殺される。そんな政治でした・・・。
この冷酷極まりない政治は彼が死んで終わります。
その後を引き継いだ【フルシチョフ】は
痛烈にスターリンを批判し、平和路線へと動く❗
フルシチョフのあともリーダーが変わりますが
なかなか思ったようにはいかず・・・
しかし❗1985年についに【あの男】が
ソ連の指導者として就任した❗
え?だれですか!!!!?
今までの負の連鎖や、経済停滞、教育などを大改革した男❗
左側の男性です・・・。
ん?だれですか???
【ゴルバチョフ書記長】さんですよ❗
あぁ〜〜〜〜❗知ってます❗
彼は今まで制限され続けていた「言論の自由」を
実現しました。(【グラスノスチ=情報公開】です。)
そこに起きたのが「チェルノブイリ原発事故」
部下に情報共有してもらえず、被害は甚大でした。
もっと早く情報公開できていれば・・・
そして、かつてのスターリン政治などで
理不尽に殺されてきた民間人の名誉回復のため
歴史を見直し・・・さらには
軍縮、人事採用、外交の見直しなどを実行。
冷戦と言われるアメリカとの対立を解消するため
当時のアメリカ大統領ブッシュさんと握手をし
メリットもなにもない冷戦を終わらせたすごい人。
それが【ゴルバチョフ】さんです。
2022年8月30日に残念ながら亡くなりました。
偉大なる功績を残した人でしたね・・・。ご冥福をお祈りします。
しかし、ゴルバチョフ登場前に権力を持っていた
人物たちの【妬(ねた)み】や【恨(うら)み】は
とんでもないもので・・・
休暇中、別荘にいたゴルバチョフが拉致監禁され
暴動が起こってしまった❗
ひでぇ・・・
これを助けたのが次のリーダー「エリツィン」でした。
これがきっかけでエリツィンの人気がうなぎのぼり❗
ゴルバチョフの人気は全てエリツィンのもとへ・・・
そして、世界の情勢は核不拡散や、平和条約
ドイツのベルリンの壁崩壊など
【平和路線】へと動き出す。
アフリカやヨーロッパでも【独立】が流行する。
そこでエリツィンはソ連から独立しようとしている
国に対し、独立国家共同体(CIS)に協力することを
条件に、1991年ソ連消滅を宣言しました。
これからも僕たちソ連と仲良くしてね?ってことですか?
そうです❗そうです❗これがきっかけでソ連は【ロシア連邦】と名を変えます。
全て繋がっているんですね・・・。
CISにはウクライナもベラルーシも参加していますよ❗
社会主義ソ連から一気に資本主義を取り入れ
国家運営をしたエリツィンでしたが・・・
やることなすことが勉強不足すぎて失敗❗
もう嫌になり、後継者を指名だけして引退した。
その男が・・・・
ウラジーミル・プーチン
きょえ〜❗❗❗❗❗❗❗❗
すべての歴史を学んだプーチン。かつてのソ連再建を狙っているのかも・・・