ミャンマークーデター

ミャンマー与党トップの
アウン・サン・スー・チーとその補佐官が
2月1日早朝、奇襲をうけ拘束された。
そもそもなぜこのタイミングで
ミャンマーでこの事件が起きたのか・・・

ミャンマーという国

かつてイギリスの植民地だったミャンマーは
1948年に独立。
その独立を導いたのが
「アウン・サン将軍」

彼は「民主制」を掲げ、国造りをしましたが・・・
これに反発した軍が
我慢できずに政権を奪った。
怒った学生を始め、多くの若者が
民主化運動を開始し、その先頭に立ったのが
アウン・サン・スー・チー。

かつての民主政権を知っている人々は
1990年の選挙で
アウン・サン・スー・チーに投票し
彼女は選挙に「圧勝」した。
しかし・・・
軍はこの政権譲渡に「No」を出し
スー・チーら民主化運動関係者を弾圧。
スー・チーを15年間
「自宅軟禁」にした。

これを助けてくれたのが欧米列強だった。
アメリカなど欧米国は軍に対し
「経済制裁」を実施
ミャンマー軍は2010年に20年ぶりの
「総選挙」を実施したのだった。
しかし・・・
この選挙は民主化陣営を排除した選挙となり
軍が圧勝してしまった・・・


なんと選挙に勝ち就任した
「テイン・セイン」率いる軍政権は・・・
民主化改革を進めたのです❗

つまり、軍の出身にもかかわらずに
民主化政策を実施しまくった。
軍政権で閉ざされてきた国を開放し
欧米とも協力し、関係改善に努め
行政改革で軍の汚職を徹底的に排除した。
諦めず、粘り強く、時間をかけて
国を変えたのです。


テイン・セインは軍のヒト・・・
彼はミャンマー国会の4分の1の議席を
軍に割り当て・・・
ミャンマーの副大統領
国防大臣
内務大臣
この3大臣は「軍が決定権を持つ」
というルールを変えることはしなかったのです。

こうして国は民主化し
アウン・サン・スー・チーは自宅軟禁解除
2015年に実施された総選挙では
アウン・サン・スー・チーが・・・
リーダー兼外相として
ミャンマーのトップに君臨した。
ミャンマークーデターにつながる
こうして就任したスー・チーは
この4分の1の議席を
どうしても減らしたかった。
そこで2020年11月の総選挙で・・・
大勝利を勝ち取り、単独政権を勝ち取ることができたのです。

これが崩れた。
これで憲法も改正可能
ミャンマーが完全なる
民主化
を実現できる所まで来た・・・。
そこで・・・軍が選挙の不正を訴えた。

対立が激化・・・・
そして、2月1日早朝に
事件が起きたのです・・・。

今後のミャンマーは
この知識を理解して
ニュースをみましょう❗
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