歴史を学びたい人・歴史が苦手な人
歴史が好きな人・たまたま来た人。笑
この記事では【流れ】を重視し
【わかりやすく】を軸に日本の歴史を
解説していきます❗
そもそも日本はどのように誕生したのか。
それが記されている『古事記』の記事が
この歴史記事の前章になりますのでぜひ❗
⇩ 日本誕生史はこちら ⇩
超わかりやすい年表【日本史年表】

縄文時代よりも前・・・
日本は長きにわたる【旧石器時代】が
存在していた。
畑での農業もなく、木のみや魚を採集し
石ヤリを使い、猟などもしていた。
もちろん同じ場所で狩り(象)をすると
獲物はいなくなってしまうので・・・

この旧石器時代から縄文時代は
10.000年の歴史がある。
そのため使用する道具も
進化を遂げる。
採取したものをより長く安全に
保管するための【土器】を発明し
縄をつかい紋様(もよう)をつけ、
分別した。これが【縄文土器】

流れる日本史年表!日本の歴史年表【縄文時代】

旧石器時代を継いだ縄文時代は
争いはほとんどなく・・・
人口もまだまだ少なかった。
朝起きて、お腹すいたら狩りをして・・・
食べて・・・遊んで・・・寝る。
その繰り返し。


土器も発明したことで、採集物の
保存期間が格段に長くなったため
移動生活はせず、同じ場所での生活
がはじまったのもこの時期でした。


ちなみに・・・
男性の平均身長は158センチ
女性の平均身長は148センチ
平均寿命は15歳でした。
貧富の差もほとんどなく
弥生時代へと向かっていった。
わかりやすい日本の歴史【弥生時代】

この時代に大きく変わったのが
「稲作」で「水耕」が中国から
日本に伝来したこと。

⇩ 始皇帝の面白秘話 ⇩
もちろん「稲作」が伝わっても
狩りはもちろんします。
基本は農作物の自給自足生活。
畑の移動はできませんので
田んぼを作った農地に定住した。
土器もより高度に、より繊細に
より薄く、よりきれいに・・・。
定住したことで食べ物の収穫は安定。
人口もどんどん増えます。
より多くの米を収穫するため
地域同士で協力し集落ができます。
これが「ムラ」の誕生です。

ただ「農業」は
豊作・不作が自然と発生します。
「稲作の伝来」が「光」
だとするならば・・・
「貧富の差」が「闇」。

そして・・・豊作地にある
「貯蔵物」を奪い合う「争い」
つまり「戦争」が始まる時代です。
各集落は他の集落に攻撃されても
いいよう集落の周りに「濠(ほり)」
をつくる「環濠集落」ができる。

この定住は各地に広がり、ムラは増え
ムラ同士が協力し、巨大化し「クニ」
となる。この【小さな国】があちこちに
成立し、小国乱立時代へ・・・
【日本史年表】「小国乱立時代」

小国乱立があったことが
なぜわかったかというと・・・
中国の文献に書かれていたからです。
小国乱立時代に頭角を現した【国】が
あったようです・・・。それが・・・
【 邪馬台国 】

当時の中国は「魏」という王朝。
魏はこの日本を「倭」と呼び
どんな国なのか魏の書物に記した。

現代の研究者がその道標をたどると
「太平洋」に達してしまう。


距離があっていて「方角」が
間違っているのならば・・・
邪馬台国は「九州」に存在した。
いやいや、方角ではなく「距離」が
間違っているとすると・・・
邪馬台国は「近畿」に存在した。

さて、話を戻しましょう。
邪馬台国の卑弥呼には「壱与(いよ)」
という娘がいました。壱与は、
中国「魏」のあとに成立した「晋」に
使者を送りますが・・・
晋はすぐに「分裂時代」へ突入。
邪馬台国の情報も途絶えてしまった。
その情報がない中で
日本に「とある現象」が起きていた。
それが「古墳の乱立」です。

学校でも聞いたことがある「大和政権」
大和政権は本当に実在したのか・・・
存在した場所は九州なのか、
それとも近畿なのか・・・
この古墳時代からは
とてもなぞめいた時代であり
資料も少ない。
だから日本の古代史は
よくわからなくなってしまう。

ついに日本はこの古墳時代を乗り越え・・・
歴史が本格的に始まろうとしていました。
飛鳥の地で日本の歴史が動き出す❗
⇩ 続きが気になる人は ⇩