東京オリンピック


オリンピックと言えば・・・




今日の話は「聖火ランナー」のお話


今年は3月26日福島県を皮切りに
その土地にゆかりのある著名人他
約1万人の人がその聖火をつなぎ
東京へ運ぶ予定でしたが・・・




そして、私的なPRの禁止や、
身分証での本人確認など・・・
選ばれるのに多くのハードルがあります。
聖なる炎は燃え続け
選手たちの魂にも火をつけます。
自分の母国のために。
東京オリンピックは2回目


さて、東京オリンピックは史上2回目なのはご存じですか?
いまから56年前・・・
1964年10月10日
アジア初のオリンピックが
東京の国立競技場で開催されました。
現在、その開会式の日付である10月10日は
「体育の日」となっています。
1964年10月9日・・・
東京オリンピックの前日・・・
天気は大雨でした・・・


当日は驚くほどの快晴だった。
東京オリンピックは大成功❗
日本のスポーツのレベルが
世界に通用することが分かったオリンピックでした。
まさに神様が与えてくれた「快晴」だと
誰もが信じた。


このオリンピックの象徴である
「聖火ランナー」
アジア初のオリンピック・・・
その聖火を聖火台にともす
アンカーは一体誰だったのか・・・。
気になりませんか?




アンカーは「坂井義則」


初めて聞きましたか?
坂井義則さんは陸上選手であり
数々の大会に出場し、優勝しています。


早稲田大学出身で
陸上ではリレーの強化選手に指名されるなど
実力のある選手だった。
しかし、オリンピックの代表戦に
敗けてしてしまった。




オリンピック委員会は
彼を即決することはできなかった。


若さではありません。
悩んだ理由はそこではなかった。
オリンピックが「平和とスポーツ」がテーマだから。
彼に即決できなかった理由。
選びたくても
簡単に選べなかった理由。
それは
彼の生年月日を見れば
一目瞭然だった・・・。


東京オリンピックの1964年に“19歳”
逆算をしてみてください。
生まれた年は「1945年」
何かが終わった年です。
そう、「第二次世界大戦」です。
日本は世界唯一の被爆国。
広島、長崎と原子力爆弾を落とされ
まもなく敗戦。
第二次世界大戦は終わりました。




彼の生年月日は
1945年8月6日。
出身は「広島」です。


オリンピックと戦争をリンクさせる
彼の選出を懸念した日本は・・・
最後までアンカーに選ぶことを躊躇した・・・。
しかし、彼は
「平和の象徴」である
戦後復興も考え決定したのであった。


その後彼はフジテレビに入社し、
報道とスポーツを担当した。
そして2014年、
東京オリンピックから50年後の9月10日。
70歳でこの世を去った。
東京オリンピックは2021年
新型コロナウイルスの影響で
延期となった東京オリンピック。
国立競技場の建設問題から始まり
ロゴマークの盗作・・・
こういった状況を
天国の坂井義則さんはどういう思いで
見ているのか・・・。
そして、
2回目の東京オリンピックの
最終聖火ランナーは一体誰になるのか・・・
ぜひ注目しましょう!!!