【世界史の窓】流れがわかる世界史
今回は中国の王朝【漢】の時代に生きた
ある1人の美女のお話・・・。
彼女は「14歳」で宮廷に推薦された超絶エリート美女❗中2です。中2。
その女の子が「悲劇のヒロイン」・・・気になる。
漢王朝は「劉邦」という男が建国しました。
漢は「匈奴(=モンゴル)」とすこぶる仲悪く
匈奴には全く歯が立たない状況であった。
⇩ 劉邦は酒好き、女好き。 ⇩
-
面白い世界史の窓(中国)「項羽と劉邦〜垓下の戦い〜」【世界の歴史秘話読んで楽しい世界史】
中国史上最初の統一皇帝「始皇帝」の死後・・・一体誰がリーダーに?立候補したのは180センチの大男とただの酒好きのおっちゃんでした。
続きを見る
⇧ なぜそんな男が皇帝に!? ⇧
匈奴に攻められたら終わり・・・でも
国を存続させなければいけない・・・。
そんな漢は匈奴と【ある契約】を結ぶことになった。それが・・・
匈奴が侵入しない代わりに匈奴に対し・・・
「2つの贈り物」をすること。
贈り物・・・なんか不吉な感じがしますね・・・。
それが・・・「金」と「女」です。
【人質】ってことですか!?その人質が王昭君ってことですか!?
そんな簡単なお話じゃなく、もっともっと悲しくて、切ない物語が・・・。
中国の歴史人物の物語「宮廷生活」
皇帝やその妻が生活する宮廷。
そこで身の回りの世話をする女性たちは
皆が美女であり、琴や歌といった
芸に富む厳選された女性たちが働いていた。
中でも皇帝のそばで働くには
皇帝に気に入られる必要があった。
美女を厳選するため1人1人面接するのはとても時間がかかってしまう。
そこで、取り入れたのが「似顔絵」です。
似顔絵ですか!!!!?
似顔絵専門の宮廷画家が似顔絵を描き
それを皇帝が見て、美女を引き抜く。
という方法でしたが・・・・
逆に言うと・・・
似顔絵さえ可愛ければ皇帝に採用される
ってこと・・・。
なんか・・・嫌な予感がします・・・。
宮廷で仕事している女性はなんとかして皇帝に選ばれるため・・・。
宮廷画家に賄賂(わいろ)を渡し、わざと
超キレイに似顔絵を書かせた。
金額が上がれば上がるほど
「より美しく」「より華やかに」書かれた。
そこに王昭君が登場します。
彼女は周りも嫉妬するほど美女で
宮廷でも有名な女性だった。
こんな賄賂が横行している中・・・
王昭君のところに1人の画家がやってきて
こう言いました。
「皇帝があなたを選ぶように
似顔絵を描いて差し上げましょう。」
もとから美女。そのまま書くだけで皇帝にも気に入られると確信。「賄賂を渡せ。ほら。」ってね。
美女なので、似顔絵を書くのは簡単。
ブスな人をきれいに書くのはリスクがある。
それで王昭君はなんて言ったんですか!!?
王昭君は言いました。
「必要ないわ。選ばれたくもない。私は私。
さようなら。」
王昭君かっこいい❗さすが❗でも・・・大丈夫かな・・・。
賄賂など、セコいことはしたくない王昭君。
皇帝の女好きもわかっている・・・。
これに宮廷画家はブチギレ❗
王昭君を「めちゃくちゃブス」に描き
推薦リストに掲載。そして・・・
王昭君が19歳のとき・・・事件が起きる❗
きになるーーー❗❗❗
皇帝は元帝に代わるも、匈奴との関係は
とくに変わらず、今年も「匈奴に送る女」を
選ぶことに。
元帝も女好きです。美女はそばにほしいので
できるだけキレイな女性は選びたくない。
そこで元帝は・・・
【一番ブスな女を匈奴に送り出してやろう】
と嫌がらせを考えた。
実は送られる女は匈奴(=モンゴル)の王の妻候補なのです。
え〜❗そんな・・・。でも王昭君ブスに描かれてますよ?
もうわかりましたか?皇帝の手元にある
似顔絵リストは全員が美女だが・・・
1人だけ「超ブスに描かれた女性」がいる。
・・・そう。王昭君です。
元帝は迷うことなく王昭君の似顔絵を選びました。
やばい❗やばい❗やばい❗
選ばれた王昭君はその報告を受けると
嫌とも言わず指示に従い、匈奴の王の妻とし
中国を去ることに・・・。
元帝は「本当にこんなブスな女がいるのか」と
興味本位で最後の別れを言いに行きました。
そして初めて人質となった
王昭君の顔を見た・・・・その瞬間❗
そこには超タイプの絶世の美女の姿が❗
元帝は言葉を失います。
似顔絵とは全く違う綺麗な女性がいて
今から匈奴へ送られてしまう。
元帝は言いました。
「これは手違いだ❗人質を選び直す❗
お前は私の妻になってくれ❗頼む❗」
しかし、王昭君は言葉を返します。
「あなたに選ばれ、光栄です。匈奴との
和平に貢献するため匈奴へいきます。」
か・・・かっこいい・・・・・。
宮廷に帰った元帝は似顔絵師を殺しました。
中国の歴史人物「王昭君のその後」
王昭君は子供にも恵まれ
匈奴の王の妻となり生活をしていました。
ところがある日、夫が病死してしまった。
え❗これで中国に帰れるじゃないですか❗
いや・・・それが・・・・・できないんです・・・。
匈奴では王が亡くなった場合、その妻は
「次なる王の妻となる」これが国の法律で
決まっていました。つまり・・・・
嫁いだ夫の兄弟や子供の妻になる。
王昭君は「匈奴の王の妻になるため」
中国からきて、夫を愛し、夫に尽くしてきた。
しかし・・・次の王は腹違いの息子。
王昭君は苦渋の決断で、仕方なく
息子の妻となり2人の女の子をうみました。
それは辛かったでしょうね・・・遠い辺境の地で1人で頑張ってたんだ・・・
異国の地で、子供を産み、さらにその旦那の別の奥さんの息子と子供を産む・・・・・。想像を絶します。
そして王昭君は、異国の地【匈奴】で
その生涯を終えた。
その後、王昭君が亡くなった場所には「供養塔」が建てられました。
現在も観光名所として残るその場所は
「青塚」と呼ばれています。
秋になるとこの地域では、葉が枯れ
落ち葉が増えるが・・・
彼女がなくなったこの場所だけは
「青々とした緑が生い茂る」