天下分け目の合戦「垓下の戦い」〜歴史上お話辞典〜【歴史秘話読んで楽しい世界史】

歴史 歴史

今から約2222年前の中国のお話・・・

古代中国にはあの『キングダム』でも有名な始皇帝という皇帝がいました。始皇帝にも歴史秘話があります。

始皇帝

歴史秘話ヒストリア「始皇帝」【読んで楽しい歴史】

彼は「中国史上初の統一」を成し遂げた凄い男なのです。しかし、彼は死んでしまった。

その後中国は荒れに荒れます。

初統一した男がなくなってしまったので、「王座争い」が各地で始まるわけです。

その最終決戦となったのが今回お話する「垓下の戦い」

R先生
それでは今日も「楽しく歴史を勉強」しましょう!!!ではいきまーす!

登場する2人の英雄「項羽と劉邦」

垓下の戦いはこの2人の最終決戦になるのですが、この2人の性格が真反対なので面白い!ご紹介します。

【項羽】という男

中国楚と漢の場所

彼は上の地図の「楚」の出身で、なんと身長は180センチ以上の大男

父は将軍であり、幼い頃から項羽は兵法を学び、反乱が起きる度に出兵、その出兵数は70回以上。圧倒的なその力で全てに勝利しています。しかし、その性格に難があるのです。

彼はとにかく「使えない部下、弱い部下は切り捨てる。

なので周りは怯えている兵士が多く、人が寄っては来ない厳しい性格です。自分の上司で例えるのなら、「おい!!!おまえ!もっと良い成績残せ!仕事しろ!成績出せないならやめちまえ!!!」みたいな上司・・・きっついですね。

生徒
えーーやですー。先生が厳しかったりすると嫌になっちゃいます・・・

【劉邦】という男

一方で、この劉邦。一言でいうと酒好き・女好きの「ただのおっちゃん」です。

面倒くさがり屋の農民の子。出世など全く興味がない。しかし彼にはその人柄なのか「とにかく人が集まる」その人望が凄かった。

彼がお酒を飲みだすと、みるみる人が集まり、大宴会になるのです。ある一団の隊長になったときも、とにかく仲間に任せ、信頼し仕事を任せる。そして、褒めて、おだてて活躍させる。これが劉邦のやり方なのですね。優秀な部下が育っていく。

生徒
なんか劉邦も劉邦で頼りがいがないっていうか・・・どっちもどっちかなぁ。

実はこの二人の性格をうまく表した言葉があります。

始皇帝の視察行幸を見た二人は始皇帝を見てこう言いました。

項羽「あれが始皇帝か・・・絶対にあいつに勝って、皇帝の座を奪ってやる!」と言いました。

一方で劉邦は「あれが始皇帝か・・・いいなー金も酒もたらふく持ってんだろうなぁー」と言いました。それぞれの性格がよくわかりますね♬

天下分け目の合戦!

項羽率いる主力軍と、劉邦率いる軍はそれぞれの道をたどり、イスが空いた秦の首都を目指しました。

項羽は秦への最短距離で進みます。途中の要所を攻め滅ぼし、戦を続け、敵兵は徹底的に殺し、その力を発揮した。

一方の劉邦軍は「戦わないでくれるなら、今までどおりそこに留まっていいよ♬」という感じで自治を認め、戦わずして降伏させ、無駄な戦いなく進軍。戦争被害者が極端に少ないのですね。

結果、先についたのは劉邦だった。死者もほとんど出していません。

R先生
戦は長期戦の場合もあるので、項羽は時間がかかってしまったのです。

遅れて秦に到着した項羽でしたが、その軍の威圧感は凄く、他の領土も制圧し、出身であった「楚」を含む主要都市の王となった。劉邦は少々ビビって、自ら少し遠方の「漢」の王となった。(自分の出身地でもあった。)

劉邦はとにかく部下が優秀です。優秀な部下たちは劉邦への信頼も厚い。だって仕事を任せてくれるから嬉しいのです。その部下たちは項羽が皇帝になるのは絶対に阻止したいと考えていた。部下たちは劉邦に提案し、項羽に戦いを挑むことを決意するのです!

ここでも二人の戦い方は違った。

劉邦と直接対決を狙い、短期決戦を挑む項羽

一方、項羽の周辺協力国を次々に攻め滅ぼし、項羽を孤立させ、長期戦に持ち込もうとする劉邦

この戦争は長期戦になりました。

そして、項羽軍の兵は徐々に疲弊し、厳しいルールに従えないのか、知らないうちに劉邦軍に寝返った兵もいた。

一方、周辺国と良好な関係を築いていた劉邦は食料備蓄も豊富、毎晩宴会をするほどの余裕があった。

もはやこれ以上の長期戦は厳しいと考えた項羽・・・

ココからが名場面!!!

もうこれ以上長期戦には耐えられない項羽は決戦日を決め、その決戦のために準備に勤しんでいた。

野営テントで休んでいるその時・・・

聞き覚えのある歌が項羽の耳に入ってきた。それは敵陣の劉邦軍から聞こえる歌だった。

その歌を聞いた項羽はこの垓下の戦いの敗戦を確信した

その聞こえてきた歌が、母国「楚」の歌だった

R先生
これがなぜ項羽の敗戦につながるのか・・・例えば、こういうことなのです。

皆さん日本人なら。「も〜もたろうさん、ももたろうさん」とか「か〜え〜る〜の〜う〜た〜が〜」とか「ぞ〜うさん、ぞ〜うさん」って知っていますよね?あれアメリカ人知っていますか?そういうことです。つまり・・・

項羽の出身は「楚」です。劉邦は「漢」です。劉邦軍が「楚」の母国の歌を知っているわけがない。つまり?

劉邦軍の中にかつての項羽軍がたくさんいるということ。

それだけの兵が項羽の戦い方に不満を持ち、劉邦に寝返っていたということがわかってしまった。

どの方向からも楚の歌が聞こえてきた。周り中が敵だらけになってしまったということです。

東から西から北から南から・・・それだけの方向から聞こえるくらい劉邦に寝返った部下が多かったんですね・・・。

「四面」から「楚の歌」が聞こえてきたのです・・・。そう

四字熟語「四面楚歌」はこの物語が語源

意味は「助けがなく、周りが敵だらけのこと」

こうした物語があるのですね。まだまだ話は続きます!

妻である”虞(ぐ)美人”(=ぐびじん)と酒を酌み交わし、こんな言葉を言いました。

「山を引く抜く力を持ち、名馬にまたがり勝利を続けた。しかし、もう馬は進むことができない。どうしたらいいのだろう。虞美人、お前もどうしたら良いのだろうか。」

そして、次の日項羽は劉邦に攻めていった・・・。

もちろん勝てるわけがない。全勝の男でも、十分なご飯を食べることができず、更に軍勢は少数。

一方劉邦は食事は十分、軍勢もみるみる膨れ、準備は万全。寝返った項羽軍もいたので、情報も全て知っていた。

しかし、項羽は戦いに挑む!しかし・・・

勝負はすぐについた・・・数人の部下と敗走した項羽は一本の川を渡ろうと船に乗った。傷だらけになり、つらそうにしている項羽をみた船頭さんが言いました。

「次なる皇帝にはあなたがなるべきだ。私は強くたくましい項羽様になってほしい!もう一度軍勢を立て直し、復活してください。お願いです!項羽様!!!」

この言葉を聞いた項羽は今までの自分の行動を見つめ返した。

厳しい言葉を浴びせ、部下を斬り殺し、信頼など全くしてなかった。優しく思いやりを持った行動など何一つできなかった・・・。最後くらい誰かのためにしてあげられることはないだろうか・・・

追いかけてきた劉邦の部下がいました。その部下は元項羽軍です。そこで項羽は・・・

「私の首には金がかけられている。私の首を持っていけ・・・莫大な金が手に入る・・・。いままですまなかった。」

こう伝え、自らの首を差し出したのだった・・・。

劉邦は残念そうにその運ばれてきた首を見たという・・・。

項羽の妻【虞美人】の話で終わりましょう。

項羽の妻「虞」は夫の死を覚悟し、自害します。自殺ですね・・・。

彼女が亡くなったその場所に「1輪の花」が咲きました。その色は「虞」の血の色と、涙が混ざり、オレンジ色の花を咲かせました。

それが写真を乗せた「ひなげし」の花。この花は別名「虞美人草」といいいます。

そして、フランス語では「コクリコ」そう、宮崎駿監督の「コクリコ坂から」にも登場するので、ぜひ見てみると面白いかもしれませんね♬

こうして、次なる皇帝に就任したのが「劉邦」ということになった。

しかし、性格はもう皆さんご存知・・・「おっちゃん」です。偉大な皇帝が死んだあと劉邦が就任したことにより、【ある国】が攻めてくる。

そして、またもや、ある一人の女性が中国に「4大悲劇美女」として名を残すことになった・・・。

中国

歴史上の人物辞典〜悲劇のヒロイン「王昭君」〜【歴史秘話読んで楽しい歴史】

どうでしたか?

世界史は「すべての始まり」です。そのすべてを知るといろいろなことが見えてきます♬外出ができない今、少しでも世界史に興味が出た人は一緒に楽しく歴史を学んでみませんか?♬

超おすすめ世界史の本!参考書ではなく楽しく読めます♬すべてのつながりを知りましょう!

東京都府中市から世界へ発信