⇩ 前回のお話は・・・ ⇩
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古代ローマ帝国【世界史の窓】

オクタウィアヌスはいったいどうしたのか。
結論から言いましょう。
彼はローマ最高の皇帝として
70歳までローマのリーダーになるのです❗
あれほど反乱が起きていたのに・・・
彼の就任後なんと200年間もの平和な時代が❗
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]200年もですか!!!!!!!?気になります・・・[/voice]
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]オクタウィアヌスはどんな行動をとったのか・・・[/voice]
その200年間の安定時代を
「ローマの平和(=パクス・ロマーナ)」と言って
その先駆者がオクタウィアヌス❗
彼は「アウグストゥス(=尊厳者)」
という称号をもらい、政治を行います。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]尊厳者は「とても立派な人」という意味。「あだ名」って感じです❗[/voice]
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]なるほど❗野球の松井秀喜さんを「ゴジラ」という感じですね❗あれ・・・でもこれって独裁政治では?[/voice]
そうなんですよ・・・。
独裁政治はローマでは反対されていた。
そこでオクタウィアヌス(=アウグストゥス)
は言います。
「俺、全然偉くないから❗俺も
1人の市民だから、みんなで政治やってこ❗」
このように言われたら好感を持てますね❗
政治がうまくいきます。
が・・・・・
ローマはこれから
大きな問題を抱えることになります・・・。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]え?さっそく問題が・・・?(汗)[/voice]
200年の中で、そこが解決できれば
歴史は変わったかもしれない。
それが・・・
【 跡継ぎ問題 】です。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]あっちゃ〜・・・跡継ぎ問題は日本史でもしょっちゅう出てきますもんね❗[/voice]
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]3番目の奥さんの連れ子を養子にして、2代目皇帝に就任させました。[/voice]
その後、少々困ったことも起きますが
5人続けて立派な皇帝が君臨する
「五賢帝時代」がやってきます。

1番最初のネルヴァさんは
後継者を早めに選ぼうと、とにかく優秀で
人望の厚い人を後継者に任命し
後継者問題を解決❗
その超優秀な人物が・・・
2人目のトラヤヌスさん❗
彼の時にローマ帝国の領土が最大になるという
繁栄をとげる。
さぁ❗領土をまとめるが大変な・・・
3人目のハドリアヌスさん❗
領土が広くなったので、各地を巡回し
顔を見せ・・・反乱を抑え、領土の安定を実現❗
4人目のアントニウス=ピウスさんは・・・
もう安定しすぎて、何もない。(笑)
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]これみんな実の子供ですか???[/voice]
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]いや・・・み~~~んな男の子いないので【養子】です。血はつながっていません。さぁ、5人目。[/voice]
マルクス=アウレリウス=アントニヌスさん
5人の中でも勉強熱心で【自省録(じしょうろく)】
という本を出版。
哲学に興味があった皇帝です。
⇩ 哲学をわかりやすく ⇩
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実は彼には子供がいた。
もちろん自分の子供に皇帝の座を渡します。
が・・・・・
古代ローマ帝国滅亡へ・・・

今までは子供に恵まれなかったので、
後継者は優秀な子を養子として迎えていましたね?
なので、仕事はめちゃくちゃできるんです。
しかし、今回は皇帝の実の子供・・・。
ローマ市民もついに皇帝の実の子供が皇帝になるね❗
と盛り上がったが・・・
実の子が・・・全く優秀ではなかった。
ここからローマは後退していきます・・・。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]いいような・・・悪いような・・・。ここがローマの最盛期ということなんですか・・・。[/voice]
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]そうなんです。あ、そうそう。イエスキリストの【キリスト教】もこのころ出来上がり、拡大していきます。[/voice]
さぁ、ローマにピンチが訪れます❗
皇帝が優秀ではないことがわかると
市民の信頼は得られません。
そうなると各地で・・・
「俺の方が皇帝にふさわしい気がする❗」と
自らを次期皇帝と名乗る軍人たちが続出した。
こうして五賢帝時代後に始まってしまったのが
50年間の「軍人皇帝時代」
なんと50年で26名もの「自称:皇帝」が登場❗
国内は「内乱状態」へと一気に衰退へ・・・。
内乱になるとどうなるか・・・
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]いつものことですね❗外敵の侵入を受けてしまうと・・・。[/voice]
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]その通り❗国境は手薄になり、異民族からの侵入を受け、ローマは大混乱❗[/voice]
のちのヨーロッパを作っていく「ゲルマン民族」や
かつての「アケメネス朝」から派生した王朝が・・・
⇩ あ、アケメネス朝はここで復習 ⇩
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ローマに次々に侵入し、
あちらこちらで戦争が発生した。
このままじゃまずい❗❗❗
と立ち上がった皇帝が
「ディオクレティアヌスさん」
話し合ってる場合じゃないので、
皇帝に絶対的権力を集中させ、
共和政はいったんやめる。
とにかく自らに「すべての権力を集める」という
【専制君主制(=ドミナートゥス)】を取り入れた。
そして、1人で広い領土をまとめることは難しいので
帝国を4つに分け、絶対的権力を持つ皇帝を
4つの領土全てに配置するという「四分割統治」を実施❗
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]お~❗日本でいう都知事や県知事的な感じですね❗で、その統括で総理大臣がいると❗[/voice]
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]例えがうまいですね❗そういうことです❗[/voice]
ディオクレティアヌスは中でも特別なので
自らを「神」とし、偉大であることを強調した。
しかし・・・
これに従わなかった集団がいます。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]キリスト教徒ですね?[/voice]
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]その通り。彼らには彼らの神がいます。そのため、皇帝が神だということを断固拒否します。[/voice]
⇩ 「キリスト教」をわかりやすく ⇩
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ディオクレティアヌスはその後キリスト教を迫害。
まだまだ混乱が続くローマ・・・。
国内のまとまりもない・・・
複数の皇帝がいる中で、
しっかり勝ち残ったエリートがいました。
それが・・・コンスタンティヌスさん。
ここでは2つ確認します。
ローマ帝国皇帝の謎「コンスタンティヌス」

彼はまず、キリスト教徒の存在を脅威ととらえ
ローマより北にあるミラノでいいました。
「キリスト教の皆さん❗今までごめんね❗
キリスト教って素晴らしいから信仰を認めます❗」
ということで313年に
「ミラノ勅令」でキリスト教を公認した。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]実はコレ、国内統一のためキリスト教徒を「利用しよう」と考えていたんです。[/voice]
そして・・・ローマ帝国にとって厄介なのは
「ローマ帝国の東側」からの外敵の侵入なので
首都を東側に近い場所である
コンスタンティノープルへ移動した。
これで少しずつ国内は安定。
このコンスタンティヌスを引き継いだのが
テオドシウスさん・・・。
彼はキリスト教しか認めません❗と
キリスト教国教化を実現した。
キリスト教以外信仰してはダメです!!!!!
って・・・。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]いや~・・・強制はまずいんじゃないですか!!!?[/voice]
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]そうなんですよ・・・これがとんでもないことを起こします・・・。[/voice]
さぁ、そんなときです。
テオドシウスは病に倒れ、
子供たちにローマ帝国を託すことになりました。
どのように託したかというと・・・

こんな感じで分けた結果・・・・これが
大事件を巻き起こす引き金となってしまった・・・。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]え?トラブルが起きそうには見えないんですが・・・。兄弟げんか?[/voice]
兄弟はいたって普通です・・・
しかし・・・
人間には寿命がりますからね・・・。