インド世界史の窓【初統一!マウリヤ朝】

各地でバラバラに国家をなしていた
インドが「なぜ急に、1つになろう」
と動いたのか・・・
それはあのアレクサンドロス大王の
大軍勢がやってきたから❗
と前回はここで記事が終わっていました。


⇩ 大王襲来までのインド ⇩
さぁ、インド初の統一王朝の
リーダーになったのが・・・
チャンドラグプタ王さん。
「やべぇのがギリシア方面から来たぞ❗」と
アレクサンドロス大王の大軍をなんとか追い返し
北インドを統一し、大王再来に備えたスゴイ人。

その後、領土を拡大し・・・ついに
インド全土を統一するスゴイ奴が現れます❗
それが・・・
アショーカ王さん。
領土がめっちゃ広くなったので
喧嘩も多くなっちゃう・・。
そこでアショーカ王は
「ん〜〜〜・・・あ❗しょっか(そっか)❗」
ということで広大な地域を「仏教支配」
することに決めた。



そして、各地でバラバラに広まっていた
「仏教の理念」をもう一度確認し
おさらいする会議・・・
「仏典結集(ぶってんけつじゅう)」
を実行。
再確認した仏教理念のもと
広大なインド王朝の幕が開けるも
歴史はくり返しです・・・
アショーカ王の死後は残念ながら
王朝は分裂してしまった・・・
インドの歴史わかりやすい解説【クシャーナ朝】

最盛期の王様はカニシカ王さん。


インドは東は中国、西は中央アジアを結ぶ
すご〜く重要な場所なんです。
そして、このクシャーナ朝も
めちゃくちゃ大事な王朝なんです。
なぜか・・・。
インドは仏教信仰。人々は仏に祈り、
拝み、心を救ってもらっていた・・・。
クシャーナ朝はあのアレクサンドロス大王が
残したギリシア文化が大流行した王朝だった。


当時のギリシア文化
で大流行していたのが・・・
【彫刻(ちょうこく)】
その美しい彫刻はインド人を興奮させ
インドのガンダーラ地域で彫刻が大流行。
つまり・・・インドで初めて・・・
仏像の制作が始まった。


仏像は見たことありますよね?
そのすべての始まりは・・・
クシャーナ朝なんです❗

このクシャーナ朝はギリシアの文化を
取り入れたことにより発展しましたが・・・
やはり「インドの伝統文化」が大切。
という考えも徐々に増加・・・
クシャーナ朝が衰退していくと
新しい王朝「グプタ朝」が
「インドの伝統を復活させる」
をテーマにインドを発展させる❗
その最盛期の王は
チャンドラグプタ2世さん。


このグプタ朝はギリシア文化も
一応考慮した、インド伝統文化を
テーマにした王朝・・・
どんな文化になるのか・・・
なんかすごそうですよね❗
このインドの動きにめちゃくちゃ
興味をいだいた「中国人僧侶」がいました。




この法顕が「仏教の国ってこんな国❗」
みたいな本を書きます。それが・・・
『仏国記』です。
このグプタ朝は繁栄しますが・・・
西からの異民族に侵入を受け、分裂。
その後インド北部に
「ヴァルダナ朝」が成立しますが・・・
初代ハルシャさんで滅亡してしまいます。
その後のインドは再び1つになるまで
長い分裂期になってしまいましたとさ。
インド世界史の窓【インド文学】

その文学は
インドの文字「サンスクリット文字」で
書かれているため・・・
別名「サンスクリット文学」とも呼ばれる
インドの文学。




このインドにも日本でいう「古事記」
のような「2大神話」があります。
⇩ 日本の神話『古事記』について ⇩
⇩ 世界の神話『ギリシア神話』は ⇩
それが・・・
『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』
こうした文学作品など、仏教の研究機関
「ナーランダー僧院」も作られます。
さらに、仏教施設として崖をえぐり
崖の中に洞窟を作り、寺として使用した。

インド特有の寺院建立なので
もちろんグプタ朝に作られますよ❗

このようにして宗教とともに
文学は盛期を迎えたのでした。


バラモン教はめちゃくちゃ焦りました。
だって、仏教がどんどんと広がるし
インド王朝も仏教を推奨したから。
でもインドには地域ごとに根付いた信仰が
まだまだ残っていました。
地域ごと信仰する神々がいた。
仏教にも属さない、バラモン教にも属さない
民間信仰が・・・。
ここにバラモン教は着目し
その民間信仰をすべて取り入れた新たな
「インドの宗教」を作り上げた。
これが「ヒンドゥー(インド)教」です。


神は踊りながら悪を破壊する
「破壊と舞踏の神」シヴァ神
が有名です。
このようにインドでは仏教や
ヒンドゥー教が残り・・・
バラモンが根源となっているため
身分階級(=カースト)も
今もなお根強く残っている・・・。