目次
流れで覚える日本史年表【北条家:鎌倉時代末期】

前回からの続きです・・・
鎌倉幕府(北条政権)はモンゴルの
攻撃を頑張って食い止めてくれた
九州の武士たちに・・・
「褒美をあげることが出来なかった」
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]鎌倉時代からは将軍と家来の間には「御恩と奉公」関係があった。[/voice]
武士たちは命をかけ頑張る代わりに
土地や、褒美をもらっていた。
しかし、モンゴルとの戦いで
【武士と北条政権との信頼関係が崩壊】
これが鎌倉幕府滅亡へのきっかけとなった。
⇩ 前回の物語 ⇩
[kanren postid="4343"]
当時の鎌倉幕府(北条政権)は
権力の拡大のため、強い武士を
「ヘッドハンティング」していた。
しかし、中には
北条政権を好まない武士も・・・。
幕府からの声掛けを無視した武士たちを
北条政権は「悪党」と呼びました。
その「悪党」の中でも
別格の筆頭である男がいました・・・。
名を楠木正成(くすのきまさしげ)
と言います。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]なんか・・・聞いたことがあるようなないような・・・[/voice]
彼はその強さから
高額な懸賞金をかけられていた。
彼は大阪の「千早城」に居城を持ち
次から次へとやってくる武士を倒した。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]むちゃんこ強いじゃないですか❗[/voice]
一方京都では・・・
北条家に仕えていた有力一族
「足利家」がいました。
この一族は北条家の右腕として
各地で連戦連勝の実績を上げてきた。
もちろんモンゴルとの戦にも参戦。
大活躍をした。
彼らは北条家のために命をかけたが
「恩賞が今まで増えなかったこと」に加え
モンゴルとの戦いでは「恩賞がもらえなかった」
こうした不満が限界に達していた・・・。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]そこに【天皇家】がそっと近づいてきます・・・。[/voice]
天皇家のある男が「天皇権力再興」
を狙い、恩賞に悩む足利家に接近。
「恩恵と地位は必ず与える。
協力してくれたら報酬は莫大に与える❗」
こうして天皇家と足利家が
【超強力タッグ】を組んだ❗
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]お〜〜〜!!!すごいっ❗天皇家はお金はありますもんね❗[/voice]
日本史年表解説【 天皇 with 足利家 】

その天皇家の男こそ「後醍醐天皇」
その足利家の男こそ「足利尊氏」❗
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]わーーー❗二人とも聞いたことがあります🎵ここで出てくるわけですね❗[/voice]
かつて朝廷(=天皇家)は
鎌倉幕府を倒そうと反乱を起こした。
これが1221年の「承久の乱」です。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]前回の記事にも登場していますが大切なので少し復習しましょ❗[/voice]
源頼朝の妻「北条政子」
VS
実権を握られていた後鳥羽上皇
この戦いが「承久の乱」で・・・
天皇による政権を再び取り戻そうと
後鳥羽上皇が政子に喧嘩を売った。

勝利した鎌倉幕府(政子)。
実はこの戦いで北条家は
二度と天皇一族が反乱を起こさぬよう
「天皇一族を監視する施設」を建設。
それが京都の・・・「六波羅探題」で
後醍醐天皇と足利尊氏は協力し
この「六波羅探題」に狙いを定めます。
そして見事「六波羅探題」をぶっ壊した❗
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]なるほど・・・六波羅探題には天皇の仲間がたくさんいるわけだ❗[/voice]
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]そのとおり❗[/voice]
六波羅探題含む近畿地方では
北条家に不満を持つ武士たちが
次々と天皇家・足利家グループに加わり
一大勢力となり鎌倉に進んだ。
鎌倉幕府(北条家)はこれに驚愕❗
「やばい❗どうしよう鎌倉を守らねば❗」
そこで鎌倉幕府は「ある男」に
救援を求めた・・・。
その男は先程にも登場した
「千早城の戦い」にも参加していた
鎌倉幕府の中で優秀な武士の一人。
彼は鎌倉幕府の為に戦っていましたが
千早城の楠木正成の力に驚愕。
敵であった楠木正成も彼に目が止まり
同じ仲間として戦えないか説得❗
楠木正成は言います。
「こちらは天皇家「後醍醐天皇」が
味方である❗そなたの力は素晴らしい❗
共に戦い、腐敗した北条政権、鎌倉を
一緒に倒そうではないか❗」
話を聞いたあとその男は
楠木に何も言わず関東に戻った・・・。
その男が地元に戻ると・・・
鎌倉幕府が戦争への備えのため
納税の取り立てを強化していた。
その男は思いました・・・。
「幕府は命をかけ戦った私の命より
税である米のほうが大事か・・・。
本当に腐っている・・・。よし❗
私は天皇家復興のために戦おうぞ。
今こそ・・・反旗を翻す時❗❗❗」
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]ついに彼は北条家を裏切り、鎌倉幕府を滅ぼすため鎌倉に攻め入る❗[/voice]
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]お〜❗ついに寝返った❗誰なんですかその男❗❗❗[/voice]
その男「新田義貞」
「あの新田義貞が寝返ったのか!!?」
と鎌倉幕府は大混乱❗
今までの北条政権に恨みを持つ人間も
次々と倒幕派へ寝返った❗
新田義貞の勢いはどんどんと加速❗
鎌倉を包囲し、勝敗は決まった。
そしてついに鎌倉にいた北条家が
倒幕軍に囲まれ800人がその場で自害。
鎌倉幕府はこうして終わりを迎えるのだった・・・
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]800人が集団自害・・・恐ろしい・・・。[/voice]
天皇の復興を狙った「後醍醐天皇」
北条家に長く仕えるも
手荒く扱われた「足利家」
幕府に所属していない武士「楠木正成」
北条家にとってはただの家臣だが
崩壊のきっかけとなった人物「新田義貞」
彼らの様々な人間関係により
鎌倉幕府は幕を下ろした・・・。
日本史勉強法【鎌倉幕府滅亡後】

源頼朝が作った鎌倉幕府は
「武士中心の政権」でしたが・・・
新しい時代は後醍醐天皇を中心とする
「公家中心の政権」となります。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]確かにいろいろ難しい・・・。ご褒美もあげるのかなぁ・・・。[/voice]
後醍醐天皇が新たに行ったのが
「建武の新政」です。
今さら「天皇が絶対だ❗❗」
な〜んてやってしまったら
また大きな反乱が起きてしまうだけ。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]たしかに・・・反乱が起きて天皇政治がまた消えちゃうだけですね。[/voice]
後醍醐天皇の気持ちはわかるが
天皇中心は不可能であった。
では一体どうするのか・・・。
武士たちは
足利尊氏のもとに集まり言いました。
「また天皇家中心の世の中に?
天皇に使われて終わりなんて嫌だ❗
あなたがリーダーになれませんか?
後醍醐天皇なんて嫌です❗」
こうした思いが強かった日本は
どうなったか・・・
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]戦争にはなりませんよ。日本に新しい時代がきます❗それが・・・・・[/voice]
新たな時代
【南北朝時代】へ❗
北は足利尊氏
南は後醍醐天皇
このように南北に分かれて政権運営する
南北朝時代へ突入します❗
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]この南北分裂が「60年」も続くのです。[/voice]
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]ろ・・・・60年!!!?[/voice]
60年も経ってしまうと
終わりはあっけなくて・・・
南北分裂のきっかけとなった
「後醍醐天皇」が崩御(死亡)
足利尊氏も死んでしまう
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]生き残った人たちは確かに分裂する意味がなくなりましたね・・・。[/voice]
この南北分断状況を解決し
南北合体を成功させたのが
「足利義満」です。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]でも、60年もの分裂をどうやって終わらせたんですか?[/voice]
実は、天皇中心政権と言いつつも
実権は北部の足利家が持っていた。
しかし・・・
北の実権継承権を南に譲り
南側が日本のリーダーとなった。
そして・・・
その南の継承者が死んだら
次の継承者が北にいく。
このように
継承者を交互にすることで和解。
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]な〜るほど❗順番であれば文句はないですね❗[/voice]
こうして・・・
60年にも及ぶ南北分裂は落ち着き
鎌倉から天皇家ゆかりの「京都」の室町に
幕府を新設した。
日本史一問一答の前に学ぶ【室町時代】

武家の鎌倉から、【公家の京都】
その中心人物は「武士」ということで
京都の「高貴な文化」と
武士の「勇ましさ」の融合した時代
これが【室町時代】の特徴です❗
それに加えて足利義満が行った
「日明貿易」により中国との
【明王朝文化】が日本に影響を与える。
その超融合文化により誕生した
象徴的な建造物が・・・
「金閣寺」(別名:鹿苑寺)

優美で勇ましく繊細で・・・
華麗できらびやかな室町時代が
なんと【100年】つづきます。
ところが・・・・
その華やかな時代も
いつか枯れてしまう時が来る。
そのきっかけとなる反乱
その後の大乱世への原因となる反乱。
あの【戦国時代のきっかけ】となる反乱。
が目の前に押し寄せていた・・・
その反乱が・・・
日本の歴史:「応仁の乱」

刻一刻と
この戦が始まろうとしていた・・・
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/02/20200206_195443.jpg" alt="virginia-icon1000" name="生徒" type="r"]こわい・・・でも凄く面白くなってきました・・・教えて下さい!!![/voice]
[voice icon="https://ryoblog2020.com/wp-content/uploads/2020/04/20200409_150657-scaled.jpg" alt="virginia-icon1000" name="Ryo先生" type="l"]ちょっと長くなってしまいましたので、次の物語でお話しましょう🎵無理せずゆっくり話します🎵戦国時代幕開け、応仁の乱までの物語❗[/voice]
⇩ ついに時代は戦国時代へ❗ ⇩
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