あれ?もしかして・・・
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【鎌倉殿の13人わかりやすく解説】三谷幸喜大河ドラマ鎌倉殿の13人あらすじや鎌倉殿の13人相関図&キャストも紹介
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⇧ 2022年大河ドラマ【鎌倉殿の13人】 ⇧
是非一緒に日本の歴史も
楽しく学んじゃいましょう❗
目次
鎌倉幕府を超わかりやすく解説

白河上皇が「院政」という形で権力を
掌握し自分専門の武装武士集団を所有。
そこから話をつなげます。
⇩ 平安時代はこちらから ⇩
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⇧ 楽しく勉強❗ ⇧
男子が生まれず、権力争いから離脱した
藤原家は再び権力を握ろうと計画する。
藤原道長から始まった藤原家ですね❗血筋が途絶えちゃったんでしたね。

その藤原家の護衛武士として
関東で名を轟かせていた「平清盛」
この「平家」が一気に有名になる戦いが
始まろうとしていた❗
鎌倉殿の13人は「平治の乱」後の話。

この「平治の乱」は権力再拡大を狙う
藤原家のリーダー争いから始まった。
その2人が
藤原通憲(みちのり)=通称:みっちゃん
藤原信頼(のぶより)=通称:のぶたん
み・・・みっちゃん、のぶたん???笑


楽しく、分かりやすくがモットーですから❗笑

この「みっちゃん」 VS 「のぶたん」の
藤原家再建への戦いが「平治の乱」

それぞれ武装集団を雇い、この戦いに臨むわけです❗
みっちゃん(通憲)は
平清盛ら「平氏」を専属武士に採用❗
一方のぶちゃん(信頼)は
源義朝(よしとも)を専属武士に採用
ついに来た〜〜〜〜〜〜〜❗源家❗


源義朝の長男が源頼朝。つまり『鎌倉殿の13人』では大泉洋ね❗
なるほど❗平清盛は「松平健さん」でしたね❗

最前線で戦うはこの専属武士である
「平清盛」VS「源義朝」
こうして、藤原一族のリーダー争いは
平氏と源氏の戦いになった。

これが【源平合戦】です❗すごいっ❗
これに勝った平氏は大喜び❗
源氏の主力メンバーを次々処刑した。
その中で当時13歳だった源頼朝。
あまり遺恨を残しすぎるのも、のちに
恨みを買ってしまうので・・・
殺しはせずに東国へ「島流し」
平家の信頼を置く武士のもとで
監視することになった。

この子が約20年後に大人になり、この平家を滅ぼす人物と化す。だから日本史は面白い❗
平治の乱で大活躍した功績を讃え
平清盛は大出世❗
なんと天皇のそばにお使えする
「太政大臣」に任命された❗
平清盛はとにかく強かったので
誰も彼に文句を言えず・・・
政治の実権を握った。
しかし・・・彼は「ただの関東の武士」
政治もしたこともなければ、莫大な権力を
手に入れたこともなく・・・もちろん
身分が高くなったこともない・・・。
確かに・・・一般人だ。政治ができる人とは思えません・・・。


そのとおり❗彼は権力と軍事力での圧力政治を行った。
平家の政治力のなさが露骨に現れてしまった。
その結果、長く不況にみまわれ
各地で「打倒平氏❗」を掲げた
反乱が多発したのです❗
そして・・・そんな時代が続き
島流しにあった源家の子供が成長。
関東で仲間を集め「打倒平家」を掲げ
大軍勢で挙兵した❗
この男が「源頼朝」です。
なるほど❗なるほど❗よくわかりました❗

ついに戦争は”源平合戦最終局面”
舞台は「壇ノ浦」❗
この戦いで平家は敗戦❗
勝利した源頼朝が自ら挙兵した
「鎌倉」の地に日本初の武家国家
を成立させた❗
鎌倉殿の13人【鎌倉幕府スタート(1185年)】

源頼朝は凄いの。ほんとに凄い。
だって・・・・・・・・
武士の時代は「江戸幕府」まで続く。
その先駆者がこの源頼朝だから。
弟はあの弁慶と義経(牛若丸)の
「源義経」(大河ドラマでは菅田将暉)

では、大乱戦後の鎌倉幕府始まりのお話を・・・
源頼朝は鎌倉幕府を開始しますが
存続させるのが超大変で・・・
(反対派もまだまだいるから。)
この権力を維持してくれる
後継者を決めることも重要でした。
子ができても、幼ければ政権運営は
とても難しい・・・。
そこで台頭してきたのが
源頼朝の奥さん一族「北条家」
⇩ こちらがよくわかります ⇩
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頼朝のお嫁さんこそ【女将軍】や
【尼将軍】とも呼ばれる「北条政子」
この「北条家」が歴史に登場。
源頼朝を北条一族で「補佐する政治」
これが「執権政治」です。
なるほど・・・。

源家は3代目までなんとか頑張ったが
3代目の源実朝(さねとも)が
暗殺されてしまった・・・
この暗殺を期に
今まで武士に実権を握られていた
「天皇家」が再び動き出した❗
こうして始まったのが・・・
鎌倉幕府に起きた【北条家 VS 天皇家】「承久の乱」

源頼朝の妻「北条政子」VS
実権を握られていた天皇家「後鳥羽上皇」
これが「承久の乱」です。
後鳥羽上皇・・・実は・・・
この戦いに「勝つ自信」があった。
北条家の「執権政治」は力任せで
拒むものや、失敗するものは切り捨てる❗
そんな政治は絶対に嫌がっている人が多い
と予想したから。
ところが❗
北条のいる関東はなぜか一致団結❗

京の都にいる天皇家に野蛮な地域だと散々バカにされてきた気持ちがここで爆発。笑
あ〜・・・そうでしたね。以前の記事で関東はすごい重税とかされていましたね。

見事北条家がこの戦争に勝利❗
執権政治は継続・・・。
3代目執権「北条泰時(やすとき)」のとき
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で言うと、
泰時は北条政子の「甥っ子」・・・。つまり
小栗旬の子供ですね❗
「承久の乱」では、多くの武士たちが
暴れに暴れまくった結果、後始末が大変で
今後このようなことがないよう
仲間同士で喧嘩したらだめよ❗
ましてや斬っちゃっうなんて絶対ダメ❗
もしそうなったら・・・・
みたいな武士の「ちゃんとしたルール」が
なかったので・・・
「武士へのルールづくり」を開始した。
このルールが・・・
鎌倉幕府のルール「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」

「式目(約束)」を守らないと・・・
「御成敗(処罰)」します。この
「御成敗式目」という武士のルールを決定❗
こうして北条家は全ての権力を手に入れ
パーフェクトに政権運営をしていた。
ところが!!!
この鎌倉幕府の北条家を
揺るがそうとする人々が登場する❗
え〜❗順調だったのに❗一体誰ですか!!!?

それが・・・
鎌倉幕府滅亡のきっかけ!?モンゴル帝国襲来

そう❗「元寇」です❗
北条8代将軍「北条時宗」のもとに
あのフビライ・ハンがやってきた❗
このタイミングなんですね❗まずいまずいまずいっ❗

当時のモンゴルは東は中国、西はドイツまで
領土を持つ世界史史上最大の大帝国を保有❗
当時のモンゴル帝国は支配ルールとして
「服従するか」「滅亡するか」その
「どちらかの選択肢」を敵国に与えていた。
こっわ・・・・・

北条時宗はこれを「無視」。
ついに巨大帝国「モンゴル」と小さな島国
「日本」との戦いが❗
この蒙古襲来では・・・
- 「モンゴルを日本は撃退」
- 海で嵐に遭遇し、船は難破。
- 日本に神風が吹き、勝利した
なんて言われていますが・・・
実際に博多に約3万のモンゴル兵が上陸❗
モンゴルの攻撃をなんとか数日間
乗り切った日本・・・しかし・・・
長期戦は不可能だった。
モンゴル兵が再び来てはもう持たない。
もはや九州はどうなってしまうのか・・・
諦めかけたある夜、奇跡が起きる❗
鎌倉幕府を救う「神風台風の襲来」

モンゴル兵は夕方になると船に帰り
朝になると戦が始まる。
船に戻った夜、奇跡的に「台風」が発生❗
船が沈没、奇跡的にモンゴルに勝った❗
すごいすごい❗・・・でもそれだけで終わるとは思えません・・・。


よくわかりましたね(笑)フビライ・ハンがこの結果にブチギレた❗
台風襲来から1年後、兵力を「15万人」に
増やし再び日本に攻めてきた❗
絶体絶命の日本でしたが・・・
「あれ?うそでしょ?あれれ??
まじかぁー❗❗❗❗❗」
なんと昨年同様2年連続で
モンゴルが襲来した夜に再び九州を
「台風」が襲いモンゴル船は全滅❗
なんと世界史史上最大領土を持った
モンゴル大帝国に奇跡の2連勝❗
神が味方する不敗の国「日本」となった。
ごいごいすーですね❗それはすごすぎる❗

モンゴル帝国はその後領土拡大のツケが
まわり・・・各地で反乱が発生。
日本に手が回らなくなり
侵略計画はついに止まった。
【鎌倉殿の13人】鎌倉幕府滅亡わかりやすく解説!

源頼朝の妻、北条政子が彼を継ぎ
北条家の支配が続いていた鎌倉幕府。
国は安定するはずだったが・・・
鎌倉幕府の終わりがすでに始まっていた。
そのきっかけがさきほどの「元寇」。
え?モンゴルには勝ちましたよ?むしろ鎌倉幕府は発展するのでは?


時代背景を読み解けば、なぜ元寇が「終わりの始まり」なのかがわかる。
これまで紹介してきた鎌倉時代までの戦争と
今回の「元寇」は何かが大きく違います。
なにかが?・・・なんだろう・・・。

今までの日本での戦争は
「日本国内の日本人同士の争い」でした。
たしかに・・・・あ❗❗❗今回は「日本人」VS「外国人」❗


そう❗それが意味するものとは何でしょう?
「日本人同士の戦い」であれば・・・
勝ったほうが負けた方の「土地」や「金」を
奪うことが出来る。
命がけで戦った「ご褒美」です。
元寇では3万人、15万人という
モンゴル人を相手に・・・
命をかけて戦い、奇跡的な台風にも
助けられ勝つことが出来ました。
九州で死ぬ物狂いで戦い、モンゴルを
撃退した武士さんたちがいます。
勝ちましたよ?あのモンゴルに勝った・・・
ならば・・・
「ご褒美」はどうするのでしょう。
たしかに・・・・・


敵であったモンゴルの領土を
奪いにいきますか?それか・・・
北条政権から武士たちに
莫大な報酬をあげますか?
そんな余裕は「まったくない」
鎌倉幕府、つまり北条政権は頑張って
命をかけて戦ってくれた武士たちに・・・
「ご褒美をあげることが出来なかった」
今までは命をかけた分、それなりの
「褒美」がもらえた。

それこそ源頼朝時代には「土地」「官位」「物資」などたくさん❗
これが「武士」と「北条政権」との
信頼関係を一気に崩壊へと導いた。
この崩壊をチャンスと見て動き出した
2人の男がいました・・・
誰だろう・・・きになります・・・。

1人は、武士から始まった鎌倉幕府を倒し
もう一度天皇家の力を復活させようと
考えていた男。
もう1人は「幕府に所属してない武士」で
実力は天下一品❗その力を見込んで
鎌倉幕府は仲間に入れようと・・・
ヘッドハンティングするも話を断り、
幕府から「悪党」と呼ばれていた男。
鎌倉幕府に恨みを持ったこの2人が
打倒幕府に動き出す❗❗❗
⇩ 時代は室町へ❗ ⇩
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