【簡単に流れがわかる日本の歴史(日本史)】江戸時代の生活〜江戸をわかりやすく時代区分・年表・勉強法は記事を読むだけ!〜

江戸時代 歴史


生徒
いや〜戦国時代楽しかったな〜❗復習もしっかりします❗



⇩ 前の記事はこちら ⇩

戦国時代

【応仁の乱とは】応仁の乱をわかりやすく、簡単に解説!日本史一問一答や年表暗記・戦国無双は古い!


江戸時代の生活へ!


清須会議で織田信長の後継者として
信長の孫「三法師が就任







そして、信長の領土の所有権も
決めなければならなかった。





「中国大返し」から「山崎の戦い」
そして「清須会議」で一気に頭角を現した
豊臣秀吉は・・・





その後の「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家にも勝利。
絶好調であったが・・・


日本の歴史:徳川家康の登場

東京都知事選挙


ここで立ちはだかったのが「徳川家康

「小牧・長久手の戦い」が勃発。


この戦でお互いが疲弊するも、またもやここで
豊臣秀吉が動いた❗





「くそぉ❗家康強っ❗長期戦は困る・・・
そうだ❗これからの時代は戦争をなくそう❗」






秀吉はなんと・・・朝廷(天皇)に近づき
日本から戦を無くしましょうと提案






朝廷は過去の将軍との戦いや権力争いなど
戦でたくさん悩んできた・・・。








朝廷はこの秀吉の提案に賛同。巧みな話術で
朝廷を手に取った秀吉は・・・








関白」という位を朝廷から受け取り
関白秀吉として家康に言った。

生徒
先生❗ちょっと待って❗「関白」ってどんな仕事するんですか?
Ryo先生
「関白」は「天皇(朝廷)のアドバイス役」です。秀吉の考えを天皇は頼っていた。




「朝廷から関白の位を頂いた。家康よ・・・
朝廷は戦を望んではいないぞ❗
戦は終わり。この日本から、戦をなくす!
天皇もおっしゃっている。協力しろ❗」





こうくるわけ・・・。

生徒
家康でも天皇には逆らうことはできませんもんね・・・。



家康は朝廷を敵に回すことは出来ず
秀吉に従った。






朝廷も取り込み、戦をなくした秀吉・・・
彼には次なる野望があった。それが・・・







アジアの統一




生徒
随分とまぁ大きく来ましたね❗
Ryo先生
秀吉は大マジです。まず狙ったのが・・・朝鮮(現:韓国・北朝鮮エリア)


この朝鮮出兵は2回行われるが・・・
やはり海を渡ったあとでのアウェー戦は厳しい
この侵略は困難なものになりました・・・・。






そんなとき・・・



第2回目の朝鮮への出兵の際に秀吉が病魔に襲われ
この世を去った・・・。

Ryo先生
秀吉が出兵したわけではない。秀吉は本国にいます。



この死をきっかけに
ある男に大チャンスが巡ってきた・・・

鳴くまで待とうホトトギス:徳川家康

徳川
三つ葉葵

秀吉の訃報を知りついに家康が動く❗





次なる天下のリーダーを決める
天下分け目の東西大合戦。






関ケ原の戦い(1600年)






秀吉のもと知略でその後継者として名を挙げた
石田三成の西軍と・・・

秀吉に不本意ながらも武力で戦ってきた
徳川家康の東軍とが戦った・・・。






この戦いに家康が見事勝ち、時代のリーダー
江戸幕府の初代征夷大将軍として就任した。





ところが・・・いまだ豊臣家の存在が残っていた





朝廷との繋がりが未だ強い豊臣家のもとへ
新しく幕府を成立させた家康が報告に行った



もうこのとき家康は60歳。

生徒
結構なお年ですね・・・大丈夫なんでしょうか・・・。


豊臣家は秀吉が死に、跡取りに任命された
秀吉の息子、豊臣秀頼(ひでより)がいた。






彼をひと目見ようと家康は
秀頼(ひでより)に会いに行った・・・


すると・・・



「家康様。ご無沙汰しています。秀頼です。
父が大変お世話になったと聞いていおります。」





その姿、言葉、雰囲気を見て、家康は感じた






「非常にまずいのぉ。秀頼には人を魅了する
何かがある。
早めに潰さんとまずい・・・。」

生徒
秀頼は家康に脅威に感じさせるほど好青年だったのか・・・。



立派に育った秀頼に対し
かつて豊臣に仕えてきた名家が一致団結し
江戸幕府にけんかを売ってくる可能性を
十分に感じた家康
は・・・





豊臣家殲滅(せんめつ)計画を実行する・・・。

生徒
家康はどんな計画を???



この豊臣家を潰すためにおこなった
家康の計画戦争が・・・

大阪冬の陣・大阪夏の陣



ここで豊臣秀吉側についた大人気武将
六文銭でおなじみ「真田幸村」だ❗

生徒
あ❗あの大河ドラマ真田丸ですね!?みてましたよ〜❗


絶対的豊臣家不利な状況でも
ずっと世話になり続けてきた
豊臣家への恩返しのため




豊臣家のため戦った。

真田家家紋「六文銭」



この「六文銭」は


死んだあとにわたる「三途の川」・・・
この川への入場料が「六文(200円ほど)」
と言われていた。






つまり・・・
死を覚悟して尽くそう
という思いから家紋にしたんです。





この真田幸村を人気にしたのが
この大阪夏の陣での戦いっぷり。






家康の首だけを狙う敵陣突破を実行







死を覚悟している真田軍の
圧倒的な攻撃力は、
一点集中で家康本陣へと向かっていった




真田軍はみるみると本陣へ近づき
その迫力に押され、死を覚悟した家康は
何度も本陣で自害(自殺)を試みたくらいであった





しかし・・・多勢に無勢・・・
真田は家康本陣近くまで来るも
一歩届かず敗走・・・







真田幸村は逃げた寺で殺されてしまった。







こうして・・・
豊臣家を滅ぼした徳川一族が
徳川慶喜の大政奉還までの








江戸幕府を265年間継続させることになる








この江戸幕府は幕末の時代まで
国内での大きな戦がありません






そういった意味では人々が
とても平和に暮らせていました。

生徒
戦国時代は人がたくさん亡くなりましたからね・・・。



その平和な時代を作り上げる
徳川の手腕・知恵・行動力がすごかった


江戸時代の生活:長い統治がなぜ出来たのか。

日本列島

幼い頃の家康は「人質」として
東海地方を転々としていました。





小さな頃から多くの苦しみを経験していた






人の苦しみを、辛さを経験した家康だからこそ
江戸時代がここまで続く時代になった。








この江戸の支配の仕方を学べば
現代にも役に立つ経営力、統率力を学ぶことができる

Ryo先生
私も今高校生の担任をしていますが、徳川の政権運営方法はすごく勉強になります。


仕事でも、遊びでも、
誰かをまとめる事になったとき・・・



徳川幕府の行動を是非参考にしてみましょう❗



ではその江戸幕府について
楽しく勉強していきます!