⇩ ロングセラーです❗ ⇩
【東南アジア史】って聞くだけで
結構嫌になっちゃいますよね・・・。
なぜ嫌になるかというと
高校世界史で多くの先生が飛ばすから
苦手意識を持ってしまう。
なぜ東南アジアを飛ばすんでしょう?
入試にも出やすいのに・・・
実際、私たちも苦手です・・・。ぜひ先生に教えてもらいたいです❗


任せてください❗2回にわたり超わかりやすく【東南アジア史】を説明します❗
視覚的に理解すると
めちゃくちゃ記憶に残るので・・・
まずは場所から確認❗

東南アジアはこの地域をさし・・・
さらに拡大すると・・・

こんな感じ・・・
東南アジアはご覧の通り大陸とつながる
「山岳(さんがく)部」と・・・・・
島々からなる「島嶼(とうしょ)部」
からなります。

上の「島嶼部」をひっくるめて「インドネシア」ともいいますね❗
お〜なるほど❗もう面白い・・・・・。

さて、ここで問題・・・
「敵の侵入を受けやすいのはどっち?」
山岳地域ですよね?海は攻めにくいし・・・陸続きなら・・・


その通り❗さすがです❗
なので・・・異文化交流など
歴史が動きやすいのが現在のタイや
ミャンマーやベトナムなどの「山岳部」
⇩ ミャンマーも最近大変で・・・ ⇩
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⇧ 面白いミャンマーの歴史 ⇧
一方で・・・異文化交流が少なく
自分たち独自の歴史や文化を
作っていく「島嶼部」
もうこの地理的状況の違いで
東南アジアの中に特徴の「差」がでる。
ということで、現在の国を
配置して確認してみると・・・

こんな感じ❗
なんとなくでも確認してね❗
現在のタイやベトナム・・・
津波のあったスマトラ島。
こうした場所に国家形成をします。
では早速見ていきましょう❗
まずは「山岳地域」からです❗
東南アジア歴史をわかりやすく解説【ミャンマー】

理解したい王朝は3つです。
世界地図で見るとミャンマーは
「インドのすぐ隣」で・・・
1世紀(0~100年)ごろから
なんと約1000年もの間、この地域には
「ピュー人」という民族集団がいました。
王国をつくり、ゆったりと暮らし
インドとの交流もあり、文明は栄えた。
でも・・・なぜ1000年もなにもされなかったのですか?


ほら、インドは勉強してきた通り、歴史あるインドが注目したのは「西」。つまり、地図の左側の地域。東南アジア側は特に気にしてなかったんです。
たしかにアレクサンドロスは西から来ましたね❗・・・では中国は?

1000年までの中国は内部抗争多発で
自分たちのことで精いっぱい。
1000年ごろからの中国は
北方領土からの侵入を受け、超大変。
そこで、中国は中国南部、つまり・・・
この「東南アジアを仲間にしよう❗」
と動き出し、東南アジア歴史は動き始める。
こうやって学校でも教えてくれれば・・・・・


さてさて、まだまだいきますよ❗
近隣諸国で争いが激しくなると、
ピュー人は新興勢力であった
「ビルマ人」(ミャンマー人)に
攻撃を受け、消滅❗
このビルマ人(ミャンマー人)が
この地域に初の統一王朝を建国する❗
それが・・・・
「パガン朝」(1044~1299年)
たしか、現在のミャンマーって1989年まで国名は「ビルマ」でしたよね?何が違うんですか?


良く知っていますね❗ん〜〜・・・「日本」で例えてみましょう❗
昔の日本は・・・
「倭(わ)の国」とか「倭」
って言われてましたね?
それが大宝律令(701年)により
正式に「日本国」となりました。
それと一緒で・・・
昔は「ビルマ」今は「ミャンマー」
1989年に国際表記がかわった❗
今は世界各国ミャンマーって使ってるんですか?


いや、「ビルマ」を使っている国もまだまだあります❗日本は完全にミャンマーですね❗
話を戻しましょう。
このパガン朝はインドで生まれた
「仏教(上座部仏教)」を取り入れ
国家運営をした。
えっと・・・先生・・・「上座部仏教」って???


簡単に言うと、「自分に厳しくしっかり修行すれば、仏(ほとけ)に救われるよ❗」っていう仏教の宗派の1つ。
しかし❗このパガン朝は
あのモンゴル帝国の侵入を受け、滅亡。
その後や〜〜〜〜〜っと
ミャンマー人の統一王朝ができた。
それが「トゥングー朝」(1531~1752年)
内部抗争を乗り越え、
2度目のミャンマー人統一王朝が誕生❗
内部抗争のすえ・・・なんか不安定な感じしますが・・・(笑)


さすがです❗そのとおり❗
時代が進むにつれ、
再び内部の民族反乱が多発❗
この民族反乱をまとめた
ビルマ(ミャンマー)人が
ビルマ人最後の統一王朝を建国❗
「コンバウン朝」(1752~1885年)
をたてた。
しかし・・・アジア進出をしてきた
大国イギリスのインド支配に組み込まれ
コンバウン朝は滅亡・・・。
イギリスか・・・ついにヨーロッパとがっつり軍事交流ですか!?


そうです❗あのアヘン戦争も1840年ですからね❗
東南アジア諸国連合【タイ】

大学の親友がタイで仕事をしてて
遊びに行ったときにビックリ❗
朝の8時と夕方6時になると国歌が街に流れ
空港や駅構内など全員が国家放送の間、
直立不動となる・・・。
そんなタイです・・・笑
へぇ~❗❗❗すごい文化ですね❗どんな歴史か知りたいです❗

タイにはもともと
「モン人」が定住していました。
ところが・・・
モンゴルに追われた中国南部や
沿岸部にいた「タイ人」が南下。
彼らが初の統一王朝を作ることになる。
それが・・・・・
「スコータイ朝」(13世紀~15世紀あたり)

なので、タイは東南アジアの中で最も中国文化を引き継いだ王朝なんです❗
14世紀くらいからのタイは
ヨーロッパやアジアと積極的に交易だ❗
という「アユタヤ朝」(1351~1767)が
成立。
アユタヤ朝が発展し「スコータイ朝」
にかわり、さらなる繁栄をします。
そして、現在は
ラタナコーシン朝(1782~今も続く❗)
え〜❗❗❗今も続いてるんですか❗すごっ❗❗❗


別名「バンコク朝」とも言う。今も国王国家なんですよ❗(国王の女性関係で反乱起きてましたが・・・笑)
東南アジア世界史覚え方【カンボジア】

カンボジアは
クメール人がメコン川下流域に
統一王朝を成立させます❗
それが「扶南(ふなん)」(1~7世紀)
オケオ港という港から
「ローマ金貨」が出土し、西側諸国と
古くから交易をしていたことが判明。
なぜいきなり漢字なんですか!?


クメール人の「山」を意味する「プナム」。これに中国が漢字をあてたんです❗
中国の文化も多く入っていたんですねwなるほど❗

その後・・・
扶南に従っていた真臘(真臘)が独立
ヒンドゥー教を採用し扶南を滅ぼした。
しかし、その混乱から真臘はすぐ分裂。
分裂した1つであったアンコール朝が
真臘を引き継いだ。
もしかして・・・国旗にもある世界遺産「アンコール・ワット」って・・・。


そうです❗この王朝時につくられた寺院のことですよ❗
でもね・・・このアンコール朝も
左隣のタイに侵略を受け徐々に衰退。
さらに右隣ベトナムを
フランスが支配すると・・・
カンボジアも残念ながら
フランス傘下に入ることになった・・・
さすがヨーロッパ列強国・・・イギリスにフランスに・・・強いですね。

この東南アジアは
「列強国の植民地」となる運命に・・・
それもこれも・・・すべて
【戦争】がきっかけですね。
では、続きまして
【ベトナム】や【島嶼部インドネシア】
についてですw
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【東南アジア歴史をわかりやすく解説!】東南アジア諸国連合について、東南アジア世界史覚え方。東南アジア史覚え方!その2
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