前回記事の最後に【ペリー】がやってきました。
⇩ 前回記事はこちら ⇩
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江戸時代食事ほか、幕末志士や新選組に徳川家康から徳川慶喜、明治時代まで【流れで覚える勉強法日本の歴史(日本史)】
さぁ、時代は江戸時代そして、明治時代へ!現代へと続く文化が、お侍さんから引き継がれようとしている。ちょんまげの時代がついに終わりを告げる!
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日本に来た理由は「鯨油」です。
東シナ海にこれを求めるアメリカが
燃料の補給地として日本に目をつけた。
そして・・・その来航をきっかけに
江戸時代がついに終りを迎える。
おぉ〜❗ついにですね❗


大人にも知ってほしい日本史。あなたも歴史の一部なんです❗
明治時代年表わかりやすく解説!

このペリー来航は日本にとって
大きなターニングポイントとなった。

実はペリー来航後、安政の大地震が発生・・・❗
じ・・・地震!!!?

この大地震により・・・物の値段が高くなる
「物価の高騰」が発生❗人々は幕府の政治運営に
激怒した。
更にコレラの流行もあり日本は絶体絶命でした。

ちなみに【コレラ】はひどい腹痛と、下痢、嘔吐の症状が出ます。
このような状況に陥ってしまった日本人は思った。
「外国のせいだ!外国の来航を認めるな!!!」
と各地で抗議運動が行われた。

これが「攘夷運動」といわれる動きです。
なるほど・・・・・

外様大名であった長州藩などがその「攘夷運動」
のリーダーとなった。

「外国を招いたのは幕府だろ❗ふざけるな❗」って。
これに困った幕府は、外様大名の中でも・・・
会津藩や、薩摩藩にこの出しゃばった攘夷運動鎮圧を
お願いした・・・。
こうして揉めるに揉めた会津・薩摩両藩VS長州藩
これを解決したのが・・・・・
坂本龍馬の薩長同盟

坂本龍馬は日本人同士の喧嘩をやめさせ、
薩摩と長州に同盟を組ませることに成功した❗

お〜❗強力な藩が仲間になるとは❗さすが龍馬❗
こうして、薩摩藩と長州藩を主力とした
江戸幕府の倒幕運動が始まる❗
15代将軍徳川慶喜はこれに悩みます・・・
たしかに徳川幕府にとってはヤバいですね❗

徳川家は政治の決定権を
250年以上保持し続けてきた・・・
に・・・250年!!!!?すごすぎる・・・

しかしこのままだと薩摩と長州はもちろん・・・
その後、海外に日本を取られる可能性もある。
イギリスもフランスもこの状況を見ている。
しかし、有力な藩にこの250年以上の権力を
奪われるわけにもいかない・・・

そこで徳川政権が出した答えが・・・その政権を一旦譲るという選択でした。
ここは天皇をたて、天皇に政権を明け渡し
その代わりとして、後の時代も徳川家が
【会議の第一党】となるようおしはかろう❗
そうすれば薩長の怒りも消えるだろう❗
そして1867年10月16日・・・

ついに徳川幕府は政権を天皇に譲った。
これが 「大政奉還」

二条城で行いました。
なるほど〜❗そういうことかぁ〜❗

でも、薩摩も長州も「やったー❗」とはなりません。
彼らにとっての目的は「徳川家を潰す」ことだが
・・・大政奉還!!!?なんじゃそれ!!!?
聞いてないよ❗ってなります。
これじゃ徳川がまだ権力を握ったままじゃないか❗
これじゃだめだ❗と、薩摩藩・長州藩が無理やり
天皇に出させたものが「王政復古の大号令」です。
幕府は完全に廃止して、天皇権力を1番にし・・・
あとは徳川じゃなく、我ら有力な藩がみんなで政治を
行っていきます❗徳川幕府はなくしましょう❗と
こうなるわけです。
そして江戸徳川幕府に変わる薩摩・長州藩らの
「新政府軍」が徳川幕府軍に襲いかかる❗❗❗
始まりは京都「鳥羽伏見の戦い」

海外の支援を受けた「新政府軍」は欧米列強の
最新武器を手に連勝❗
え?なぜ最新武器を新政府軍が?


徳川家がいては「鎖国」が続きますので、海外は新政府軍に手を貸した。
そうか❗徳川は海外にとってもいないほうがいいんですね。


そのとおり❗しかも徳川の武器は「鉄砲」や「刀」です・・・。
あちゃ〜・・・弱いですね・・・。

新政府軍は京都をさらに東へ進み・・・東京を超え
現在の福島県、会津藩、更に進んで北海道まで
やってきた❗
もはや成すすべがない旧幕府軍は「五稜郭の戦い」
で完全敗北を喫しました・・・。

あの新選組、土方歳三はここでなくなる・・・
戦いに勝利した新政府が始めたのが海外の
テクノロジーを駆使した「明治維新」です。
なるほど〜〜〜〜〜❗

その先駆けとなったのが支配制度の刷新である
「廃藩置県」でした。
あ〜❗学校で習いました❗詳しくはわからないですが・・・。


わかりやすく説明しましょう❗
江戸時代までは外様が遠方で土地を管理し
政治を行い参勤交代で江戸に向かうという
規則を守りさえすれば地元での自治権利があった。
たしかに・・・そうでしたね❗

⇩ 江戸の基礎はこちら ⇩
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江戸時代食事ほか、幕末志士や新選組に徳川家康から徳川慶喜、明治時代まで【流れで覚える勉強法日本の歴史(日本史)】
さぁ、時代は江戸時代そして、明治時代へ!現代へと続く文化が、お侍さんから引き継がれようとしている。ちょんまげの時代がついに終わりを告げる!
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しかし、この廃藩置県は違った。これは
各地の自治権利を奪い、新政府の役人を各地方へ
送り、新しい政府のやり方で自治を行うもの。
もはや今までの自由はない。
そうなんですね・・・


実はこれだけではないのです・・・。
さらに政府は「廃刀令」を発布し
警察以外の刀の所持を禁止した・・・
これで戦もなく、平和になる。
しっかり統制された時代になる・・・
「はず」だった・・・。
「はず」・・・ってことはそうではないんですね・・。

この廃藩置県・廃刀令・・・この2つの発令により
すべてを失った人たちがいました。
す・・・すべて?


それが・・・・「侍(さむらい)」でした。

武士の仕事である「戦い」がなくなり・・・
刀はもはや「使う必要がなくなった」・・・
武士は命より大切な「刀」を持てなくなった。
これに新政府の一員だった西郷隆盛は
抗議します。
「それはいかん❗刀は侍たちの命❗実際に
この倒幕運動でも、明治維新でも彼らは
刀で頑張ってくれたんじゃ❗侍がいたからこそ
今があるのじゃ❗いきなりそれは無理じゃ❗❗」

新政府も欧米列強の改革を参考に、近代化を図りたかった。
西郷隆盛が尽力するも、結果は変えられず・・・
武士たちは次々と仕事を奪われ、戦うことも
できなくなってしまった・・・
明治維新後の「武士」たち・・・

生きていくために商売を始めました。しかし・・
いままでやったことのない仕事をいきなり
やろうとしても・・・
お得意さんもいなければやり方すらわからない。
彼らは困り、疲れた・・・。こんな仕事では
生きている意味すらもわからなくなる・・・。
その中で、ある商品が現代に残る・・・。
今もある食べ物・・・なんだろう・・・。


「こんぺいとう」。これは困弊糖と書き・・・困り、疲弊した武士が売った商品でもあった。
仕事がなくなった武士は、つい最近まで
「国のために必死に戦っていた」それなのに・・・
突然の廃藩置県に廃刀令のダブルパンチ・・・
そんな侍はみな【ある人物】のもとへ集まった。
「お願いですどうにかしてください・・・❗
我々はもう必要ないのでしょうか・・・西郷さん❗」

そう・・・西郷隆盛です。
西郷さん・・・助けてくれるんですか?


武士を助けるために始めたのが「西南戦争」です。
ここで西郷隆盛は武士とともに最後を迎えた・・
そして時代は・・・超最先端テクノロジーを
採用した明治新政府によって動き出す❗
でも先生・・・一体誰がリーダーになるんですか?

その中心人物が・・・長州藩出身伊藤博文。
わ❗初代内閣総理大臣❗

日本はペリー来航のあと、欧米列強国になめられ
いくつもの「不平等条約」を結ばされていた。
「日米修好通商条約」とかだ❗治外法権や関税自主権がないとか勉強しました❗


そう❗そのため、伊藤博文新政府はとにかく欧米列強国に追いつく必要があった。
天皇の力を強めた【最先端テクノロジー】を
駆使した武器を、軍隊を揃える必要があった。
そこで・・・伊藤博文は列強国へ勉強の旅へ。

何カ国もお勉強しにいって、【日本に合う国】はどこかと・・・
そして【モデル】として採用したのが・・・
【ドイツ】だった。
ど・・・ドイツ!!!!!

そのドイツの憲法をモデルに作ったのが・・・
新憲法!「大日本帝国憲法」

ドイツの憲法を参考にこれを作成し・・・
「世界よ❗どうだぁ❗❗❗」と見せつけた。
そんなすぐ作れちゃうんですね❗❗

彼のあとの指導者は・・・「長州藩」・「薩摩藩」
その2つの藩がほとんどを担った。
まぁ、幕末に活躍した二藩ですもんね・・・

そうすると両藩の権威はどんどん強くなっていく。

こうした「長州藩」や「薩摩藩」など限定した藩に政権が託される政治を「藩閥政治」という。
これではいかん❗と、他の藩が対抗をしようと
試みるも・・・最新武器を持つ2つの藩には
もはや武力では勝てない。

では「どのように抵抗したのか?」考えてみましょう❗
ん〜・・・力が強い相手に抵抗するには・・・クレーム?


おぉ!?
・・・・・そうか❗言葉だ❗❗❗❗❗

その通り❗人々は思想・言葉・意見で対抗。
この対抗勢力が拡大し、ついに両藩による
「藩閥政治」が崩れます。
それぞれ自分たちの意見を持つ政党をつくり
日本を変えていこうと「政党政治」が始まる❗

こうして様々な「政党」が作られていきます。
この政党政治で意見を述べ、人気を博したのが
「大隈重信」や「板垣退助」です。
わぁ❗知ってます❗知ってます❗

彼らは薩摩藩出身でもなければ長州藩出身でも
ありません。

大隈は「佐賀県」、板垣は「高知県」です。
各地にすごい人はいますもんね❗

そういった人たちが登場し始める時代へ❗

実は、これには【デメリット】が・・・
多くのお意見が飛び交うのはいいことじゃないんですか?

今までは長州・薩摩藩は「幕末の戦に勝利した」
という威厳があったが・・・時代がたつにつれ
その威厳は薄れる・・・そして・・・
薩長以外の政党ができると・・・
その政党は「国民の支持」が絶対に必要だった。
言い換えると、有権者の支持が必要だった。

ご参考にしてくださいね❗

当時の「有権者」は今のように【18歳以上】ではありません。
たしか【納税できるお金持ちの人】ですよね?


そうです❗そうです❗
だから政治を運営したい人々は
「お金持ちのために好かれる政治」を
するようになってしまったのだった。
まるで今の「お年寄りのための政治」みたい・・・。


そうですね・・・若者は選挙に行きませんから・・・。
さて、続きです・・・
日本がそのような状況の中で
世界は着々とアジア進出を実施していた・・・

そこでポイントとなるのが「ロシア」❗当時の目標は「不凍港」を手に入れることだけ❗
たしかに、ロシアの港は1年の半分以上凍ってますもんね・・・。

広大なロシアは西側の不凍港獲得を試みるも・・・
ドイツやフランスイギリスなどに阻まれ失敗。
そこでロシアはふと気が付きます・・・・
「あれ?東側の韓国なら凍らないじゃん❗」と
韓国へ南下。これに不安を感じた日本は焦る。
そして・・・韓国との利害関係が崩れるのを
嫌った中国も韓国に介入してきた。
わ❗やばいですね・・・・・。

こうして鉢合わせた日本と中国が韓国で戦う❗
日本の歴史:【日清戦争】勃発!

見事勝利した日本は賠償金を獲得し、軍事力を
格段にあげることができた。
あ、福岡の「八幡製鉄所」ってこの賠償金で作られたんですよね?


そうですそうです❗よく知っていましたね🎵
さらに日本はロシアが一部支配していた
韓国の領土に奇襲攻撃を開始・・・❗
日清戦争後に立て続けに【日露戦争】が勃発❗
この2つの戦争に日本は勝ってしまった・・・。
なぜ日本が巨大な2国に勝てたんですか?しかも連戦❗


たしかに国土面積も比べられないほどの差があります。なぜ日本は連勝できたのか・・・
その理由が「イギリス」です。
貿易大国イギリスはロシアを脅威に感じていた。
領土面積No.1のロシアが不凍港を獲得し、
戦力拡大するのを恐れた。
ロシアが拡大した場合、もしかしたら
貿易被害が出るかもしれない・・・。
そこでイギリスは日本側に南下政策を実行してきた
ロシアに対し、日本にできる限りの支援をした。

日本はその「支援」があって勝利❗日露戦争前には「日英同盟」を締結していますしね❗
ロシアとの直接戦争も、なかなか厳しかったが
なんとか勝利・・・。
しかし、日清戦争と日露戦争には
ある最大のカラクリがあった・・・・
カラクリ???なんだろう・・・いいことですかね?


日清戦争は【下関条約】。完全な「日本の勝利」だが・・・日露戦争は「日露講和条約」。
いわゆる「ポーツマス条約」ですよね?


そうです。日露戦争はアメリカが仲介し、アメリカのポーツマスで条約を。
あ❗そうなんですね!?

日露戦争は勝利ではない。よって・・・・
「賠償金がもらえなかった。」
勝利したのに・・・日清戦争以上の戦費を使い
死者数も急増したのに・・・「賠償金”0”」
これに日本国民が大激怒したのです❗

このあと日本では大手会社が多くあった「日比谷」が火の海に。これが「日比谷焼き討ち事件」。怖いですよね・・・

そしてまもなく、人類初の世界大戦が発生しようと
していた・・・戦場はヨーロッパ❗❗
日本はその時、どんな行動をとったのか・・・。
続きはこちら❗❗
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