今日は皆さんに・・・
面白くて、切なくて、感動するお話を紹介します。
きっとすぐに誰かに話したくなるでしょう。
先生のブログ面白いですもんね❗
内容はコチラ
世界の歴史秘話「垓下の戦い」
古代中国には『キングダム』で吉沢亮くんが
演じた始皇帝という皇帝がいました。
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【世界史の窓】超わかる!中国歴史人物「始皇帝」中国歴史ドラマや中国歴史書でもおなじみ〜わかりやすい年表〜
「キングダム」では吉沢亮演じる役がこの【始皇帝】中国4000年の歴史の中で世界で初めて巨大帝国の国家に君臨した男。始皇帝のおもしろ秘話。
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彼は「中国史上初の国家統一」を成し遂げた
めちゃんこすごい凄い男でしたが、死にます。
その死をきっかけに各地で起きたのが・・・
「王座争い」。
その【最終決戦】が今回お話する「垓下の戦い」
この話が実に感動するお話なんです❗一緒に楽しみましょう❗
世界の歴史秘話「項羽と劉邦」
「項羽(こうう)」という人物は最初にのせた地図の
「楚」の出身で身長は180センチを超える大男。
父は将軍で、幼い頃から兵法を学び・・・
反乱が起きる度に出兵、その出兵数は70回以上。
圧倒的なその力で全てに勝利しています。
しかも・・・項羽は「傷を負ったことがない」最強の男なのです。
しかし、その性格に難が・・・。
なんか・・・やばい予感・・・。笑
彼はとにかく
「使えない部下、弱い部下は切り捨てる。」
うっひゃ〜鬼上司ですね・・・会社だったら直ぐにやめちゃいそうです・・・。
もちろん人は寄っては来ないし
部下たちもビクビク怯えながらの戦をするわけ。
会社の上司で例えると「おい❗お前❗もっと売上残せ❗出せないならやめちまえ❗」みたいな。
うわ・・・きっつい。先生・・・「劉邦さん」は?
劉邦は酒好き・女好きの「ただのおっちゃん」で
面倒くさがり屋の農民の子。出世など全く興味がない。
うわ〜・・・劉邦大丈夫なんですか!?絶対勝てない・・・笑
しかし、彼の武器は「人柄」です。劉邦のには
「とにかく人が集まる」そして人望が厚い・・・
彼がお酒を飲みだすと、みるみる人が集まり
大宴会になる❗ほどの人柄で・・・ある一団の
隊長になったとき、仲間を信頼し仕事を任せる。
そして、褒めて、おだてて活躍させる。
人を愛し、楽しむことをモットーにしている。
これが劉邦のやり方なのですね。
優秀な部下が育ちやすそうですね❗私も劉邦のもとで働きたい❗
この二人の性格を表す出来事がおきます。
始皇帝が皇帝になった際、彼の挨拶行幸を見た
二人は始皇帝を見て、それぞれこう言いました。
先生・・・挨拶行幸(ぎょうこう)って?
皇帝になったことを伝えるため、行列を作り、挨拶回りをしたんです。
その豪華な行列を見て項羽は言いました。
「あれが始皇帝か・・・絶対にあいつに勝って
皇帝の座を奪ってやる❗」
一方で劉邦は言いました。
「あれが始皇帝か・・・いいな〜・・・。
金も酒もたらふく持ってんだろうなぁー。」
それぞれの性格がよ〜〜〜〜〜くわかりますよね🎵
お〜❗❗わかりやすいですね❗
面白い世界史「天下分け目の大合戦”垓下の戦い”」
その始皇帝が死に、秦の王座が空いた。
項羽軍と劉邦軍はそれぞれの道をたどり、
秦の首都を目指し進撃しました。
項羽は秦への最短距離で進む。
途中の要所を攻め滅ぼし、戦を続け、
敵兵を徹底的に殺し、その力を発揮した。
一方の劉邦軍は
「戦わないでくれるなら、そこにいていいよ❗」
という感じで・・・戦う相手の自治を認め、
戦わずして降伏させ、無駄な戦いなく進軍。
劉邦軍は戦争被害者が極端に少ないんです。
結果・・・先に首都についたのは劉邦。
死者もほとんど出していません。
項羽は戦で時間がかかり、被害もそれなりに出てしまった。
遅れて秦に到着した項羽でしたが、その軍の威圧感は
もの凄く・・・他の領土も制圧、首都に近い主要都市
である「楚」の王となり近隣諸国も巻き込んだ
広い領土を支配した。
劉邦はビビって、少し遠方であり、地元である
「漢」の王となった。
項羽は「楚の王」で、劉邦は「漢の王」。
こうして広範囲を支配する「楚王=項羽」と
「漢王=劉邦」が隣接する状態となった。
劉邦の部下たちは項羽が皇帝になるのは
絶対に阻止したいと考え、劉邦に提案し、
項羽に戦いを挑むことを決意させるのです❗
二人の戦い方は「大きく違った」
劉邦と直接対決を狙い、短期決戦を挑む項羽。
一方、項羽の周辺協力国を次々に攻め滅ぼし、
項羽を孤立させ、長期戦に持ち込もうとする劉邦。
戦争は長期戦になった。
項羽軍の兵は徐々に疲弊、結果を残さないと
殺されてしまう厳しいルールもあり
知らないうちに劉邦軍に寝返った兵も多くいた。
なるほど・・・たしかに劉邦軍にいたい。
一方、周辺国と良好な関係を築いていた劉邦は
食料備蓄も豊富、毎晩宴会をする余裕もあった。
やはり皆劉邦には「協力的」なんですね。
もはやこれ以上の長期戦は厳しいと考えた項羽は
最終決戦日を決め、その準備の為、野営テントで
休んでいるその時・・・聞き覚えのある歌が
項羽の耳に入ってきた。
それは敵陣の劉邦軍から聞こえる
「ある歌」で、その歌を聞いた項羽は
この垓下の戦いの【敗戦】を確信した。
えぇ〜❗なんでですか?諦めたんですか!?
聞こえてきたの項羽の母国である「楚の歌」でした。
え?その歌がなぜ項羽の敗戦を決定づけたんですか?
「かえるの歌」とか「桃太郎の歌」を
知っていますよね❓
アメリカ人はその歌を知っていますか❓
そういうことです。
ん??????
項羽の出身は「楚」で、劉邦は「漢」です。
劉邦軍が「楚」の母国の歌を知っているわけがない。
つまり?
劉邦軍の中にかつての項羽軍が大勢いる証拠。
項羽の戦い方に不満を持ち、
劉邦に寝返った兵がめちゃくちゃいた。
ということです❗
さらに歌はこちらまで聞こえる大合唱・・・❗
劉邦は項羽軍の兵隊とめちゃくちゃ仲良く・・・そういうことか❗
東から西から北から南から・・・
どの方向からも楚の歌が聞こえるほど
寝返った兵は多かったわけです。
周り中が敵だらけになってしまった。
「四面」から「楚の歌」が聞こえてきたのです。
面白い世界史「四面楚歌」誕生物語
「助けがなく、周りが敵だらけ」
この語源の物語が生まれたのです・・・。
へぇ〜❗おもしろっ❗そういう物語があったんですね❗
しかし・・・この戦いには・・・
儚い「物語の続き」があるのです・・・
⇩ 続きはこっち ⇩
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面白い世界史(中国)「項羽と劉邦〜垓下の戦い〜」その2【世界の歴史秘話読んで楽しい世界史】
あの【始皇帝】のあとをつぐ中国イチの指導者を決める争い。その争いは想像を遥かに超えるものでした。戦火がもたらした悲劇とは・・・。
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