小学生でもわかる日本の歴史

そもそも
日本はどのようにしてできたのか。

日本神話『古事記』
この歴史記事の前章になります🎵
⇩ こちらからどうぞ ⇩
日本の歴史【縄文時代】

この時代は
争いはありません。
人口もまだまだ少なく・・・
朝起きて・・・
ご飯とりに狩りをして・・・
食べて・・・
遊んで・・・
寝る・・・
の繰り返し。


採った木の実などは
「土器」にいれて保存。
貧富の差もほとんどない
日本の歴史【弥生時代】

この時代に大きく変わったのが
「稲作」
つまり・・・
「農業」が伝来した。
狩りはたまにします。
基本は農作物の
自給自足生活。

畑の移動はできません。
田んぼを作った農地に
定住した。
しかし・・・
定住したことにより
食べ物の収穫は
安定します・・・

しかし・・・
「農業」は
豊作・不作が自然と発生します。
「稲作の伝来」が「光」
だとするならば・・・
「貧富の差」が「闇」。

そして・・・
豊作地にある
「貯蔵物」を奪い合う
「争い」が
弥生時代から始まる。
この定住は各地に広がり・・・
小さな国が
あちこちに成立した。
日本の歴史「小国乱立時代」

小国乱立があったことが
なぜわかったかと言うと・・・
中国の文献に書かれていたから

その小国乱立時代に
頭角を現したのが・・・
邪馬台国

当時の中国は「魏」
魏はこの日本を
「倭」と呼称し
どんな国なのかを
魏の書物に記しました。
現代の研究者が
その道標をたどると・・・
「太平洋」に達する。

距離があっていて
方角が間違っているのならば
きっと邪馬台国は
「九州地方」に存在した。
いやいや、方角はあっている
距離が間違っているのだ!とすると
邪馬台国は
「近畿地方」に存在したことに。

邪馬台国は一体どこに存在したのか・・・。
九州なのか近畿かのか・・・

さて、
卑弥呼には娘がいました。
名前は「壱与(いよ)」
彼女は、中国の「魏」のあとに成立する
「晋」に使者を送りますが・・・
当時の晋は歴史が浅く
その後すぐに「分裂時代」へ突入します。
邪馬台国の情報も途絶えてしまった・・・。
その情報がない中で、
日本にある現象が起きた。
「古墳の乱立」です。

日本に
どんな統一政権があったのか・・・
学校でも聞いたことがあるでしょう
これが「大和政権」です。
大和政権は本当に実在したのか・・・
そして、存在した場所は
九州地方なのか、
近畿地方なのか・・・
この邪馬台国からのあと時代は
とてもなぞめいた時代であり
資料が少ないんです。

ついに日本は
この古墳時代を乗り越え・・・
歴史が本格的に始まろうとしていました。
飛鳥の地で
日本の歴史が動き出す❗