世界史の窓【古代ローマの歴史】

古代ギリシアの歴史から約200年・・・
遅れて登場する「ローマ(現:イタリア)」
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あのアレクサンドロス大王も
「東方遠征(東側)」に行きました。
当時のローマ(イタリア)やフランス
スペインやドイツなどのギリシア西側は
魅力がないどうでもいい地域でした。
ローマにとってはこれがとてもラッキー。
他国の侵入を受けず自分たちだけで
国を作る「時間」があった。
だからこそローマの人たちは
自分たちでなんとかやっていかないと・・・
という思いもありました。

皆さんが読んできた記事のギリシアも
オリエントも・・・すべてこのローマが手に入れる。
その歴史を楽しく一緒に
お勉強していきましょう❗
古代ローマの歴史や古代ローマの服装

最初にこのローマにやってきたのが
「ラテン人」


ではなぜこの「ローマ」だったのか・・・
理由は「水」。
このローマにはティベル川という川が存在した。

しかし・・・ラテン人がローマに住み始め
約50年がたったとき・・・
北方の「エトルリア人」がやってきて
ラテン人はローマを奪われてしまった。
エトルリア人たちが作ったローマの凄いところは
国のことは「自分たちみんな」で決めたというとこ。


古代オリエント・古代エジプト
アケメネス朝・古代ギリシア・・・
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戦争をするにも、何かを決めるにも、
国のことはだれが決めてきましたか?

その通り。
すべて国の権力者が決定権を持っていた。
しかし、ローマは最初に王はいましたが
その王を追放し、みんなで国のことを決めようと
「貴族(お金持ちや土地所有者)」たちが立ち上がった。
これがほかの国とは大きく違う
古代ローマの特徴「貴族政治」です。


日本でいう「国会」ですね❗
古代ローマでは「元老院」と言います。
元老院は・・・ローマを知る
お金持ちのおじさんの集まりのこと。
彼らがローマの政治を決めていく。

その元老院には、「司会者」もいて
その司会者を「コンスル(執政官)」
と言います。

また、戦争などの国の緊急時には
のんきに会議はできませんので・・・
ディクタトル(独裁官)という
非常時専門の司会者もいた。
このような政治運営をしたが、あくまでも
これらの話は「お金持ちの貴族」の話。
90%以上は「一般市民(=平民)」です。
彼らには政治に参加する権利がない。
では・・・戦争が起きた時。
誰が戦うんでしょうか?お金持ちですか?
今の日本に置き換えましょう。
戦争が起きた時、国会議員は戦いますか?


なんと一般市民(=平民)は、山に立てこもり
「俺たちの権利を守ってくれなきゃ戦争いかねーぞ❗」
とストライキを起こした。
今まで勉強したオリエントやギリシアだと
「うるさい!いいから従え❗」となりますが
ローマはそうなりません。
どうなったかというと・・・
「そうだね・・・命かけてるもんね
確かに平民を守ってあげなきゃ❗」となります。

そこで生まれたのが・・・「護民官」
平民を護(まも)る人(2名構成)が
元老院の政治の場に参加することになった。

さらに❗平民だけで話し合いをする場
「平民会」が作られた。さらにさらに❗
ローマにいた有識者リキニウスさんは言いました。
「コンスル2人のうちの1人は平民から出そう。
彼らの意見も聞かなければいけない。」
有識者セクスティウスさんもいいました。
「金持ちが平民の土地を奪うことは許せない。
金を持っている事で格差が生まれるのは良くない。」
この2人の意見がそのまま法律となった。
「リキニウス・セクスティウス法」です。

【世界史の窓】世界史年表〜平民権力の拡大〜

リキニウスさんのおかげで
コンスルとなったホルテンシウスさんがいました。
彼の就任時に非常事態が発生❗
別のコンスルは空席で、彼が独裁官となり
国の運営決定権をもつことになった❗

彼は言いました
「国を守るのは平民だ❗こんな時にまで
平民会の決定事項になぜ元老院の承認が
必要なのだ❗そんな場合じゃない❗」
こうして、なんと運良く
平民会での決定事項がそのまま法律になる
という法律「ホルテンシウス法」を作った。
こうして長い時間をかけて
貴族と平民との「平等」を世界で初めて実現した。
古代ローマの歴史【ローマ統一と世界展開】

こうして1つになったローマは
その後10年をかけイタリア半島を統一。


下の図を見てください。
ローマは倒した地域を「3つ」に分割。

農地の状態や、降伏の状況等にもよりますが
支配地にこうした「3つの格差」をつけ
お互いがケンカをするよう分類しました。




そして、ついに統一ローマは対外戦争へ❗
世界史の窓【ポエニ戦争勃発】

このポエニ戦争は3回にわたる戦争です。
ローマは勝てることができたのか!?