あれ?もしかして・・・
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【鎌倉殿の13人わかりやすく解説】三谷幸喜大河ドラマ鎌倉殿の13人あらすじや鎌倉殿の13人相関図&キャストも紹介
超わかりやすい❗誰かに言いたくなる「歴史解説」記事を書いているりょうです❗ 一緒に楽しく鎌倉殿を学びましょう❗ ⇩ 超わかりやすい日本史❗ ...
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一緒に日本の歴史も楽しく学んじゃいましょう❗
内容はコチラ
わかりやすい歴史【平清盛の登場】
白河上皇が「院政」という形で権力を掌握し
自分専門の武装武士集団を所有した。
そこから話をつなげます。
⇩ 平安時代はこちらから ⇩
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わかりやすい歴史!日本の歴史簡単にわかりやすく解説!日本史年表で流れを学ぶ!日本の歴史漫画も紹介。【平安時代】
「歴史を改めて勉強したい人」も「歴史が苦手な人」も「歴史が好きな人」も読むだけで歴史が好きなり、今すぐにでも紹介したくなること間違いなし!
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男子が生まれず、権力争いから離脱した
藤原家は再び権力を握ろうと計画する。
藤原道長から始まった藤原家ですね❗血筋が途絶えちゃったんでしたね。
その藤原家の護衛武士として関東で名を
轟かせていた「平清盛」・・・。この「平家」が
一気に有名になる戦いが始まろうとしていた❗
わかりやすい歴史【平治の乱】
この「平治の乱」は権力再拡大を狙う藤原家の
リーダー争いから始まります。その2人が・・・
藤原通憲(みちのり)=通称:みっちゃん
藤原信頼(のぶより)=通称:のぶたん
の2人です。
み・・・みっちゃん、のぶたん???笑
楽しく、分かりやすくがモットーですから❗笑
この「みっちゃん」 VS 「のぶたん」の
藤原家再建への戦いが「平治の乱」です。
それぞれが武装集団を雇い、この戦いに臨むわけです❗
ふむふむ・・・。人集めですね❗
みっちゃん(通憲)は
平清盛ら「平氏」を専属武士に採用❗
一方のぶちゃん(信頼)は
源義朝(よしとも)を専属武士に採用❗
ついに来た〜〜〜〜〜〜〜❗源家❗
源義朝の長男が源頼朝。つまり『鎌倉殿の13人』では大泉洋ね❗
なるほど❗平清盛は「松平健さん」でしたね❗
最前線で戦うは「平清盛」VS「源義朝」です。
こうして藤原一族のリーダー争いはいつの間にか
平氏と源氏の戦いになった。
これが【源平合戦】です❗❗
な〜るほど❗❗
これに勝った平氏は大喜び❗源氏の武士を次々
処刑した・・・。
その中で当時13歳だった源頼朝。あまり遺恨を
残しすぎるのも、のちに恨みを買ってしまうので
彼のことは殺さずに東国へ「島流し」にし、
平家の信頼を置く武士のもとで監視。
この子が約20年後に平家を滅ぼす人物と化す。だから日本史は面白い❗
おぉ〜❗❗すっげ〜❗❗
平治の乱で大活躍した功績を讃え平清盛は大出世❗
なんと天皇のそばにお使えする「太政大臣」に
任命された。
平清盛はとにかく強かったので誰も文句が言えず
政治の実権を握ったが・・・彼はもともとは
「ただの関東の武士」。政治したことないし
権力を手に入れたこともなく・・・もちろん
身分が高くなったこともない・・・。
確かに・・・一般人だ。政治ができる人とは思えません・・・。
そのとおり❗彼は権力と軍事力での【圧力政治】を行った。
平家の政治力のなさが露骨に現れてしまい・・・
その結果、長く不況にみまわれ、各地で
「打倒平氏❗」を掲げた反乱が多発した❗
そんな時代が続き島流しにあった源家の子供が
成長し、関東で仲間を集め「打倒平家」を掲げ
大軍勢で挙兵した❗この男が「源頼朝」です。
なるほど❗なるほど❗よくわかりました❗
ついに平氏と源氏の戦争は”最終局面”
舞台は「壇ノ浦」❗
この戦いで平家は敗戦❗勝利した源頼朝が自ら
挙兵した「鎌倉」の地に日本初の武家国家を
成立させた❗
わかりやすい歴史【鎌倉幕府スタート(1185年)】
源頼朝は凄いの。ほんとに凄い。だって・・・・
武士の時代は「江戸幕府」まで続く。
その先駆者がこの源頼朝だから。
弟はあの弁慶と義経(牛若丸)の「源義経」
では、大乱戦後の鎌倉幕府始まりのお話をします。
源頼朝は鎌倉幕府を開始しますが存続させるのが
超大変で・・・(反対派もまだまだいるから。)
この権力を維持してくれる後継者を決めることも
重要でした。
子ができても、幼ければ政権運営は難しい。
そこで台頭してきたのが源頼朝の奥さん一族
「北条家」です。
⇩ こちらがよくわかります ⇩
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【鎌倉殿の13人わかりやすく解説】三谷幸喜大河ドラマ鎌倉殿の13人あらすじや鎌倉殿の13人相関図&キャストも紹介
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頼朝のお嫁さんが【女将軍】や【尼将軍】とも
呼ばれる「北条政子」。
この「北条家」が登場し、源頼朝を北条一族
みんなで「補佐する政治」。これが「執権政治」。
なるほど・・・。
源家は3代目までなんとか頑張ったが、3代目の
源実朝(さねとも)が暗殺されてしまった・・・
この暗殺を期に今まで武士に実権を握られていた
「天皇家」が再び動き出した❗こうして
始まったのが・・・
わかりやすい歴史【北条家 VS 天皇家「承久の乱」】
源頼朝の妻「北条政子」VS実権を握られていた
天皇家「後鳥羽上皇」これが「承久の乱」です。
後鳥羽上皇・・・実は・・・
この戦いに「勝つ自信」があった。
北条家の「執権政治」は力任せで拒むものや、
失敗するものは切り捨てる❗そんな政治は
絶対に嫌がっている人が多いと予想したから。
ところが❗北条のいる関東はなぜか一致団結❗
京の都にいる天皇家に野蛮な地域だと散々バカにされてきた気持ちがここで爆発。笑
あ〜・・・そうでしたね。以前の記事で関東はすごい重税とかされていましたね。
見事北条家がこの戦争に勝利❗執権政治は継続。
3代目執権「北条泰時(やすとき)」のとき
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で言うと、
泰時は北条政子の「甥っ子」・・・。つまり
小栗旬の子供ですね❗
「承久の乱」では、多くの武士たちが暴れに
暴れまくった結果、後始末が大変で・・・今後は
このようなことにならないように仲間同士で
喧嘩したらだめ❗ましてや斬るなんて絶対ダメ❗
もしそうなったら・・・・
みたいな武士の「ちゃんとしたルール」が
なかったので「武士へのルールづくり」を開始。
このルールが・・・
わかりやすい歴史【御成敗式目(ごせいばいしきもく)】
「式目(約束)」破ると「御成敗(処罰)」します。
この「御成敗式目」という武士のルールを決定❗
こうして北条家は全ての権力を手に入れ
パーフェクトに政権運営をしていた。
ところが!!!
この鎌倉幕府の北条家を揺るがそうとする人々が
登場する・・・・
え〜❗順調だったのに❗一体誰ですか!!!?
それが・・・
わかりやすい歴史【鎌倉幕府滅亡のきっかけ!?】
そう❗「元寇」ことモンゴル人の到来です❗
北条8代将軍「北条時宗」のもとに
あのフビライ・ハンがやってきた❗
このタイミングなんですね❗まずいまずいまずいっ❗
当時のモンゴルは東は中国、西はドイツまで
領土を持つ世界史史上最大の大帝国を保有し、
モンゴル帝国は支配ルールとして「服従するか」
「滅亡するか」その「どちらかの選択肢」を敵国に
与えていた。
こっわ・・・・・
北条時宗はこれを「無視」。ついに巨大帝国
「モンゴル」と小さな島国「日本」との戦いが❗
この蒙古襲来は諸説ありまして・・・・
「モンゴルを日本は撃退した」
「嵐が発生し、船がことごとく難破した」
「神風が吹き、勝利した。」
など・・・色々あります。
実際に博多に約3万のモンゴル兵が上陸❗
3まん!!!!!!!?
モンゴルの攻撃をなんとか数日間乗り切った日本
であったが・・・長期戦は不可能だった・・・。
モンゴル兵がまた来たらもう無理。もはや九州は
どうなってしまうのか・・・諦めかけたある夜に
奇跡が起きる❗
わかりやすい歴史【神風台風の発生】
モンゴル兵は夕方に船に帰り、朝になると
戦が始まります・・・。船に戻った夜、
奇跡的に「台風」が発生❗船が沈没・・・
奇跡的にモンゴルに勝った❗
すごいすごい❗・・・でもそれだけで終わるとは思えない。
よくわかりましたね(笑)フビライ・ハンがこの結果にブチギレ❗
台風襲来から1年後、兵力を「15万人」に増やし
再び日本に攻めてきた❗
絶体絶命の日本でしたが・・・
「あれ?うそでしょ?あれれ?まじかぁー❗」
なんと2年連続で、モンゴルが襲来した夜に
九州を「台風」が襲いモンゴル船は全滅❗
世界史史上最大領土を持ったモンゴル大帝国に
奇跡の2連勝❗
神が味方する不敗の国「日本」となった。
ごいごいすーですね❗それはすごすぎる❗
これほんとに神っていますね。
その後のモンゴル帝国は、領土拡大のツケが
まわり・・・各地で反乱が発生し、日本に手が
回らなくなり侵略計画はついに止まった。
わかりやすい歴史【鎌倉幕府の滅亡】
源頼朝の妻、北条政子の北条家支配が続いていた
鎌倉幕府。モンゴルも追い出すことに成功し
国は安定するはずだった・・・しかし鎌倉幕府の
終わりがすでに始まっていた・・・。
そのきっかけがさきほどの「元寇」です。
え?モンゴルには勝ちましたよ?むしろ鎌倉幕府は発展するのでは?
時代背景を読み解けば、なぜ元寇が「終わりの始まり」なのかがわかる。
(・・・ゴクリ・・・。)
これまで紹介してきた鎌倉時代までの戦争と
今回の「元寇」は【何かが大きく違います】。
なにかが?
そう・・・今までの戦争との【最大の違い】
今までの日本の戦争は・・・
「日本国内の日本人同士の争い」でした。
あ❗今回は「日本人」VS「外国人」ってこと?
そう❗それが意味するものとは何でしょう?
「日本人同士の戦い」であれば・・・
勝ったほうが負けた方の「土地」や「金」を奪う
ことが出来る。命がけで戦った「ご褒美」です。
元寇では3万人、15万人というモンゴル人を
相手に命をかけて戦い、奇跡的な台風にも
助けられ勝つことが出来ました。
死ぬ物狂いで戦い、モンゴルを撃退した九州の
武士さんたちがいます。勝ちましたよ?
あのモンゴルに勝ったならば・・・
「ご褒美」はどうするのでしょう。
たしかに・・・・・
敵であったモンゴルの領土を奪いにいきますか?
それか・・・北条政権から武士たちに莫大な
報酬をあげますか?そんな余裕「まったくない」
鎌倉幕府、つまり北条政権は命をかけて
戦ってくれた武士たちに・・・
「ご褒美をあげることが出来なかった」
今まではそれなりの「褒美」がもらえた。
それこそ源頼朝時代には「土地」「官位」「物資」などたくさん❗
ご褒美を挙げられなかったことが「武士」と
「北条政権」との信頼関係を一気に崩壊へと導き
この崩壊をチャンスと見て動き出した
2人の男がいました・・・
誰だろう・・・きになります・・・。
1人は、武士から始まった鎌倉幕府を倒し
もう一度天皇家の力を復活させようと
考えていた男。
もう1人は「幕府に所属してない武士」で
実力は天下一品❗その力を見込んで鎌倉幕府は
仲間に入れようとヘッドハンティングするも
話を断り、幕府から「悪党」と呼ばれていた男。
鎌倉幕府に恨みを持ったこの2人がついに
打倒鎌倉幕府に動き出す❗❗❗
⇩ 時代は室町へ❗ ⇩
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わかりやすい歴史!日本の歴史簡単にわかりやすく解説!日本史年表で流れを学ぶ!日本の歴史漫画も。【室町時代まとめ】
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