宗教とは【対立の発生】
ユダヤ教・キリスト教・仏教・イスラーム教


神が天地を創造し
アダムとイヴを創造した
彼らから子孫が誕生し
その生まれた子”モーゼ”に
「厳しい教え(=ユダヤ教義)」を与えた
その厳しい教えに疑問をいだいた人間が
イエス・キリスト
でした
彼はユダヤ教を「否定」したわけではない
「ユダヤ教改革」を行った
その結果、反逆者とみなされ処刑された
ユダヤ・キリスト・イスラームの神は同じである
イエスにとって自分の存在があるのは
神のおかげであり・・・
イエスの母マリアに子(自分)を授けてくれたのは
神である
そして時が経ち
再びその神から言葉を授かった男が
ムハンマド
つまり
神は人間を創造しルールを与え
神はイエスを誕生させ
神はムハンマドにさらなる教えを与えた。
これは言語が違うだけで意味は同じ。
どういうことかって?
日本語では「朝ごはん」
英語では「ブレックファースト」
タイ語では「アーハーンチャオ」


さて、話を戻しましょう!
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教がなぜ対立?


神も同じ
聖地も同じ
しかしなぜ対立してしまうのか。
かれらの誕生の歴史と信仰する経典の関係
を理解すれば一目瞭然。
いきますよ?
「ユダヤ教」の経典は『聖書』です。
聖書は天地創造からはじまり
初の人間であるアダムとイヴが誕生し
その子孫がユダヤ教を伝えられ
ユダヤ人として歴史を刻む。
よって
天地創造からかれらユダヤ人の物語が書いてある
「キリスト教」の経典は『新約聖書』です。
ユダヤ人の歴史は書いていません
ユダヤ教を変革しようとした
イエスの物語が書いてある
『新約聖書』はある意味で
ユダヤ人の歴史の”続き”が書いてある
だから
古い方の物語を『旧約聖書』と名付けた。
だってイエスはもとは”ユダヤ教”だったから
聖書を否定はできないが
区別はしなければいけない。
ということで『旧約聖書』は
キリスト教がつけた名前なんです。
ユダヤ教の物語が「前編」イエスの物語が「後編」
みたいな感じ♫
なので
キリスト教はイエスの物語である『新約聖書』が経典。
あ、これは間違えないように!
キリスト教は『旧約聖書も大事だよ!』
とちゃんと言っています。
ただし、経典は『新約聖書』
イエスの物語を大切にしましょうと。
これに「ユダヤ教」がブチ切れる
「旧約聖書って言うのやめてくれない?💢」
ってユダヤ教。
なぜか・・・
だってね、キリスト教から「旧約」って勝手につけられた。
だからユダヤ教は言います。
「いや、俺らの経典古くないから!
そもそも”聖書”が宗教の全てだから!
『新約聖書』なんて認めないよ!」
って思いますよね!
勝手に旧約・新約とつけられ
しかもユダヤは旧約!?
ふっざけんじゃねーよ!ぶっとばすぞ!
ってなっちゃいました
そして
「イスラーム教」の経典はコーラン
コーランはちょっと遅くにムハンマドが
神からもらったお言葉集。
だから「イスラーム教」は
「もちろん旧約・新約聖書も大切よ!」
という精神。
でもその後、また神が言いたいことあって
ムハンマドに伝えた言葉集
「コーラン」も大切にしましょうね!
ってなった。
けどこれにキリスト教が言います。
「コーランってなによ!?💢
新約聖書で話は終わってっから💢
ぶっとばすぞ!」
となってしまう。
それぞれ”創始者”についての考え
これもまた面白い。
インタビュー形式で勉強しましょう♫


モーゼさんについてお聞かせください。ユダヤ教のみなさんにとって「モーゼ」さんとは?


















こうなるわけですね。
イスラーム教が一歩リード
って感じですかね。
聖地パレスチナの現状


ユダヤ教聖地”嘆きの壁”


かつてユダヤ人の王ソロモンが神殿を建てた。
しかし、その後その神殿はローマ帝国により
破壊された。
その”一部”が残り、この「嘆きの壁」として
ユダヤ教の”聖地”とされている。
キリスト教聖地”聖墳墓教会”


かつてイエス・キリストは
ローマ帝国の反逆者として十字架にかけられた
その後弟子たちが遺体をお墓に入れようと
処刑されたイエスのもとに行くと
その遺体はそこから消えていた・・・
その処刑された場所に建設されたのが
”聖墳墓教会”
イスラム教聖地”岩のドーム”
銀色に輝くドームが
”岩のドーム”
といわれ
かつてムハンマドが昇天する際
その岩に手をつき
天に召したとされる・・・
この3つの聖地が”徒歩圏内”に
この「パレスチナ」・・・
一体誰のものなのでしょう。
ユダヤ?
キリスト?
イスラーム?
この宗教の戦いは現在まで止むことはなかった・・・
中でも一気に世界宗教となったキリスト教と
遅れて中東に誕生したイスラーム教との
直接対決が1096年に始まる
キリスト教VSイスラーム教


それが約200年続く「十字軍の戦い」です。
下の地図はそれぞれの宗教の勢力圏
「☆」がパレスチナです。


パレスチナは”イスラム圏内”に存在する
これに対し・・・
キリスト教のトップである教皇が言います。
「奪うよ。聖地パレスチナ。」
と、キリスト教のシンボルである
”十字架”を掲げてパレスチナに大軍を送ったことが始まり。
これがキリスト教とイスラム教に
大きな溝を与えることになってしまった。
第1回十字軍で奇襲をかけたキリスト教・・・しかし・・・


と奪回したとしても、その支配維持は
ものすごく大変なものだった。
そして距離が遠すぎた。
キリスト教のトップである
教皇がいるのがローマ帝国の首都ローマ。
向かうはパレスチナ
陸路だとどれくらいの距離があると思います?
直線距離は当時は使えません。
(飛行機などないから笑)
ちなみに直線距離だと
約2300キロ。
陸路だと約3600キロ
つまり・・・
当時の十字軍(キリスト教軍)は・・・
北海道を出発し
トコトコ歩き
大阪に到着しても
トコトコ歩き
福岡についても
トコトコ歩き
沖縄に到着し
折返し地点。
再び福岡へと
トコトコ歩き
大阪に到着し
もっと歩き
やっと秋田とか宮城県に
ついたあたりで
戦争!!!!!!!!!!!!
となるわけです。


こうなってくるとキリスト教徒も
精神異常者が多くなり
「遠すぎるだろ。教皇め、ふざけるな!」
その目的が薄れ
「聖地奪回」などの目的はなく
よりその遠征が楽になるよう
何不自由ないよう
略奪や強盗、人さらいや性的暴行
を加える”ならず者集団”となってしまった。
このイメージがとても強いのです。
よく考えてみてください。
キリスト教徒
と
イスラム教徒
は同じ神であり、ましてやイスラム教は
キリスト教の聖典・神の子を
認めている。
いわば「同志」です。
なのにこんなことをされた・・・
「キリスト教徒め・・・」
「ゆるさない・・・」
「200年間も・・・」
「絶対に許すもんか・・・」
という溝ができてしまった。
宗教対立はこのように生まれた
それぞれが
「自分たちのことだけを考えた結果」
こうした対立を発生させてしまったのです。


この国はなんとか国を存続させようと
戦闘のスペシャリストを育てていた・・・。
この力は次第に強くなり
現在のトルコの前身となる
オスマン帝国を作り、
イスラームと協力しながら
あの十字軍を撃退するまでの力を得た。
そして時代が進むに連れ
その領土はイスラーム教とともに拡大。
パレスチナはイスラーム国家の
オスマン帝国の領土の一部として
存在することになった・・・
面白く楽しく学べる一冊🎵
漫画で学ぶのも全然ありです🎵
次回へ続く・・・
東京都府中市から世界へ発信